元農林水産省種苗課長
コーネル大学終身評議員
松延 洋平 氏
まず描かれるのは、元陸軍少尉・小野田寛郎がフィリピン山中の過酷なジャングルから経済成長を謳歌する祖国に約30年ぶりに生還するまでの記録だ。それはひたすらに、残置諜報軍人として生き残るための戦闘と、自然との凄まじい戦いの日々であった。小野田少尉が仲間を1人ずつ失いながらも生き抜くダイナミックな姿を追う。
しかしこの映画が暗黙のうち現代の日本に問いかけるものは、我々の理解をはるかに超える次元の問題である。
小野田少尉は、凄まじい衝撃を世界に与えながら、文明社会に戻った。その渦から1年もたたずして、兄弟や友人たちは小野田少尉を直ちに異文化ブラジルに移住させた。再び山野を開墾し牧場を拓くために自然と格闘し、家畜・野生生物を相手にする日々。小野田少尉は現地の日系人や地元先住住民との交流に加えて、進出してきている日系企業や南米の有力産・官・学界、メディアなどのエリートとの対話・交流を重ねていく。
小野田氏のその後の軌跡からは、日本に対する使命感、日本社会の今後の在り方への考察や次世代への痛切な危機感が伝わってくる。
残りの人生を捧げるべきものは何か?
ブラジルに移住して10年。小野田氏が牧場経営を軌道に乗せ、人生を穏やかな目で見る段階にさしかかったのは昭和の末期であった。
多くの人々の理解と支援に恵まれ、やっと牧場経営も軌道に乗ってきたのである。
しかし、日本からの便りは様変わりしていく社会を伝えていた。阪神淡路大震災、地下鉄サリン殺人事件、そして少子高齢化社会。経済優先で突き進んできた日本社会に、何かが芽生えてきているのではないか。小野田少尉の心の底に湧き上がる疑念は抑えきれない炎のように燃え上がった。とりわけ、イジメ、自殺に至るまで追い詰められる日本の子どもたち。
子ども好きの小野田氏は子どもがおかしい、このままでは日本がダメになる!と決意し、日本への貢献・恩返しのために残りの人生をかけると決意し、ついに帰国する。
自然の塾 ――自然こそが 最高の教師――
小野田氏が開いた「小野田自然塾」の深い意義を知る人は少ない。小野田自然塾は、ブラジルでの第二の人生を終えた小野田氏の「こぼれ話」に過ぎない出来事にと思っている 人々が多いだろう。しかし実際には、現代社会にとってこの塾が持つ意味はむしろ深まる一方である。
20世紀が終わりに近づいていた時代。日本は諸外国と比較して前に進む覇気を失い、形にはまって気力を失っているようにみえる、との指摘が増えてきた。
1人で生き抜くつらさ、怖さに耐え、仲間とともに生きる意思をもちつづけることこそ、小野田氏が厳しい自然からの試練と交流から長年の間に学んだ知恵だ。そうだ!子どもたちとのキャンプに人生を賭けたい――そんな思いから生まれたのが、小野田自然塾である。
小野田氏が自然塾で実行する回顧と実践の姿に、海外でも日本人でも耳を傾ける人が急増した。現代に生きる意義を求める賛同者も増え、講演でも聴衆の熱気が増してきた。
「戦後、日本の子どもたちの環境は豊かになったが、子どもがおかしくなっている。大学生が両親を金属バットで殴り殺した事件などを聞くと、このままでは日本はダメになるのではと思った。生きる目的を失った日本の子どもたちは、むしろ追い詰められている。たくましさややさしさ、生きる意欲を感じなくなっているのではなかろうか」
あまりにも幼い段階から知識中心の人工的、無機質な壁に囲まれ、塾通いに追われる日々に、友人同士のイジメ・自殺などが頻発し、さらに親と子の間の虐待が政治行政課題にさえなっている。
小野田氏は、原因は「生きる」ことを感じることができる環境をおろそかにし、さらに身近の生命に感激する機会を失ってしまっていることではないかと感じた。
生長期を健やかに迎えて、健全な心身と前向きの脳をはぐくむことこそが「急がば回れ」だ。森や林での自然観察、キャンプでの野外生活、サバイバルゲームなどの自然体験のなかから、子どもたちは間違いなく健全さと野生をとり戻していくことを強調した。
現代日本は、幼児期、小学生から「モダンな作法」を要求しがちではなかろうか。
幼児期から思春期にわたって、日本の子どもは諸外国と比べても前に進む勇気や気力に乏しい。塾の過剰な経済負担が、不健全な社会基盤を生みつつある。日本でも中国でもアジア諸国でも、幼年時から塾に通わせる傾向は行き過ぎた現象となりつつある。
デジタル後進国克服の名目のもとに生まれる大きな格差は、ほかの先進国並みに急激に 拡大していくのではないか。シンガポールのような他のアジアの国にもイギリス、オランダからの植物園教育の伝統が影響をおよぼし、初等教育前の自然塾で学ぶという流れが生まれてきつつある。
日常から遠ざかる死と自然をあえて直視し、徹底的な孤独のなかで生きる意味を肯定的にも否定的にも深く考えることを日本人1人ひとりに求める―日本人だけでは読み解けず語ることもできない、グローバルな視点から歴史を問い直す、未来志向のメッセージである。すでに世を去っている小野田少尉自身が、天国からも語り掛けているのではないか?とさえ思わされる。さらに、国際共同制作により、第三者の深みと幅のある視点が生かさている。まさに必見の国際映画である。
2021年10月8日 映画公開の日に