2022年01月25日( 火 )
by データ・マックス

柳川商店街再生の試み(2)

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マルショク跡地、約350坪

 郊外大型ショッピングセンターの包囲による顧客の流出、それまで、商店街の中心に立地し商店街の集客装置でもあった中堅SM(マルショク)の撤退、商店街事業主の高齢化、後継者難、これらによる空き店舗の増加等の要因により活力を失った柳川商店街ですが、もとより、手をこまねいていたわけではありません。
 2012年の11月に柳川商店街振興組合が、自らの再生を図るべく「柳川商店街活性化に関する提言」を発表しています。

 この内容を少し紹介しておきましょう。提言の冒頭に「未来を担う若手後継者による協議体を設置し、本格的な活性化策への取り組みを強力に推進するため(中略)『柳川商店街若っかもんの会』を発足させました」とあります。全国どこの商店街でも売上不振が後継者不足を招き、そのために商店街が衰退していくという図式は共通のようです。商店街が永続的に生き残るためには若手経営者の活性化活動への参画、自らのまちを自らの発想で変えていくことが大事です。その証左に、国も商店街活動への補助金の審査項目にこの若手(経営者)の参画、そして、女性の参加という要素を大変重視しています。
 さらに、この提言書の目的は「柳川商店街振興組合では、この危機的状況の中、商店街の中心に位置するマルショク跡地に核となる施設を創設し、地域の特色を生かしながら、様々な世代が集まり、高齢者にやさしい商店街へと再生を図っていきたいと考えています」としています。

 また、商店街の若手が考える10~20年後の柳川商店街の将来像として、次の4項目が掲げられています。
・高齢者に優しい商店街
・地域の人達が集い触れ合える商店街
・様々な世代が集まるイベントが充実した商店街
・活気あふれる笑顔の絶えない商店街
 今後、高齢者対応をしつつ地域コミュニティの中心機能を担うこと、そこから往年の活気を取り戻そうという目標です。
 そして、その取り組みの柱は、ハード事業としては、(1)マルショク跡地の有効活用、(2)歩道の整備、ソフト事業としては、(1)柳川商店街ファンの取り込み、(2)シール事業の統一化が挙げられています。

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歩道のない柳川商店街。左側がマルショク跡地

 一番大きな課題は、08年5月に撤退したマルショクの跡地利用・活用問題のようです。昔から商店街における大型店は、現在ほどモータリゼーションが進んでいない時代(昭和40年代~)には、その存在は地域の商店街にとって邪魔な存在で多くの商店街が排除にかかったものでした。4年前にこのシリーズに書きましたが、1974年からのダイエー熊本進出問題がその典型例です。
 しかし、モータリゼーションが進みロードサイドショップと郊外型SCに商店街の顧客を奪われるようになると、GMSのみならず食品型のSMでも商店街の集客装置として、商店街はむしろ大型店の出店を歓迎するようになります。それらの動きに合わせるように、中心市街地の空洞化を食い止めるために「中心市街地活性化法」が98年に施行されます。中心市街地に商業・商店街だけではなく各種の公的な機能・機関や住宅等集客施設を集約することにより、コンパクトなまちづくりを目指し、中心市街地を活性化させようとするものです。
 柳川市は、この中心市街地活性化法の認定は受けていませんが、市の総合計画では、西鉄柳川駅から続く中心市街地(主として柳川商店街)を観光の要素を織り交ぜながら活性化する必要について言及しています。

 このほかハード事業では歩道の整備が挙げられていますが、これは写真にみるように、柳川商店街は旧国道沿いに展開されており、歩道がほとんどない状況で、買い物環境は大変悪いと言って過言ではないでしょう。筆者も昭和40年代の後半にこの商店街を何度か歩いた経験がありますが、それは交通量も多く人通りもまだかなりあったため、大変危険な商店街だな、と感じた経験があります。
マルショク跡地の利活用を中心とした柳川商店街活性化策の具体的な展開については次回以降に述べます。

(つづく)

<プロフィール>
100609_yoshida(株)地域マーケティング研究所
代表取締役 吉田 潔
和歌山大学観光学部特別研究員(客員フェロー)、西日本工業大学客員教授、福岡大学商学部非常勤講師。

 
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