2024年05月09日( 木 )

歴史が息づく商都のオリジン「博多部」(後)

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線・面の連携はまだ不十分、魅力の打ち出し方が課題

 ここまで述べてきた博多部の歴史のなかで、江戸期ごろから博多部に寺院などが集中して置かれたことを触れた。こうした神社仏閣は、博多旧市街プロジェクトにおいても重要な観光コンテンツとして位置づけられており、まち歩きコースなどの立ち寄りスポットとしても設定。各地には、統一コンセプトでの観光案内板や都市サインなどが整備されている。そうした博多部を代表する神社仏閣・名所の代表的なものをいくつか紹介してみよう。

櫛田神社(上川端町1-41)

櫛田神社
櫛田神社

 博多っ子からは「お櫛田さん」の愛称で親しまれている博多の総鎮守。祭神は大幡主命(おおはたぬしのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)の3柱で、奈良期にあたる757(天平宝字(てんぴょうほうじ)元)年の創建。現在の社殿は、豊臣秀吉が博多復興にあたって建立寄進したものとされている。博多の夏の風物詩である「博多祇園山笠」が奉納される神社としても知られている。

東長寺(御供所町2-4)

東長寺
東長寺
東長寺 五重塔
東長寺 五重塔

    九州における真言宗九州教団の拠点寺院(別格本山)であり、山号は南岳山、正式名称は「東長密寺」。806(大同元)年に中国・唐から帰国した空海が創建したとされている寺院で、兵火によって一時荒廃するものの、福岡藩の二代藩主・黒田忠之によって再興された。境内には、堂内扉に仙厓和尚をはじめ当時の文人・墨客の書画が刻まれた1842(天保13)年建立の六角堂のほか、二代・忠之をはじめとする福岡藩主の墓所などがある。本尊である木造千手観音立像は国の重要文化財に指定されている。1992年には木造座像としては国内最大級の「福岡大仏」が建立されたほか、2011年5月には五重塔が竣工した。

承天寺(博多駅前1-29-9)

承天寺通り
承天寺通り

    1242(仁治3)年に創建された臨済宗東福寺派の寺院で、山号は萬松山。開山した聖一国師円爾(えんに)が宋から帰国した際に、うどんやそば、饅頭などの製造技術を持ち帰ったとされており、日本における発祥の地として知られている。1963年の博多駅移転にともなう区画整理により、境内は市道によって北東と南西に分かれており、山門や仏殿は南西側、本堂や墓地などは北東側に配置されている。この市道「承天寺通り」の入り口では、博多部を訪れる観光客のウェルカムゲートとなる「博多千年門」が2014年3月に完成した。

博多千年門
博多千年門

聖福寺(御供所町6-1)

 鎌倉幕府初代将軍・源頼朝からこの地を賜った栄西禅師(ようさいぜんじ)が1195(建久6)年に開山した臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は安国山。日本最初の禅寺とされる。禅画で名高い仙厓和尚はこの寺の住職を務めた。境内は、三門・仏殿・本堂と一直線に禅寺の伽藍配置がよく保存されており、国史跡に指定。また、日本茶の発祥の地としても知られ、境内には「茶の木」が植えられている。

聖福寺
聖福寺

萬行寺(祇園町4-50)

 浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は普賢山。本願寺第八世蓮如上人の命により博多で布教を行っていた弟子の性空(しょうくう)が、1529(享禄2)年に普賢堂町で草庵(道場)を開いたのが始まり。境内には福岡藩主に仕えた儒学者・竹田定直や、薄幸な身で信仰に厚かった遊女・明月尼の墓などがある。

萬行寺
萬行寺

若八幡宮(博多駅前1-29-47)

 俗称「やくはちまん」「厄除八幡」とも呼ばれ、厄除・災難除の神様として市内のみならず周辺地域からも広い信仰を集める神社。祭神は、大鷦鷯命(おおさぎのみこと/仁徳天皇)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)の3柱。創建等は不明だが、元禄以前から筥崎宮、櫛田神社との関係が指摘されている。

若八幡宮
若八幡宮

妙楽寺(御供所町13-6)

 臨済宗大徳寺派の寺院で、山号は石城山。1316(正和5)年の開基とされ、創建当初は博多湾岸の沖の浜にあり、遣明使一行が宿泊するなど、重要な外交施設の1つとされていた。墓所には黒田家重臣の墓石が立ち並び、博多の豪商・神屋宗湛(かみやそうたん)の墓も残る。境内には、「ういろう伝来の地」の碑が建つ。

妙楽寺
妙楽寺

 このように、かつて港湾都市として大陸から伝来する文化の日本における玄関口だった博多部には、今回紹介した以外にも多くの神社仏閣が残存。今なお街の風景の一部として溶け込み、歴史・伝統・文化の息づかいを感じさせてくれる。

 博多部エリアではほかにも、博多座や福岡アジア美術館などを擁する博多リバレインや、「博多町家」ふるさと館、はかた伝統工芸館、川端商店街などの、博多の文化・芸能に触れ合える多彩な観光施設も存在しており、1つひとつの観光スポットは十分な魅力を有したものだといえるだろう。ただし、こうした博多部における観光コンテンツは、個別の魅力はあったとしても、承天寺通りや御供所通り、櫛田表参道などの一部を除けば街並みが連続しておらず、“点”での訴求となってしまっている。大通り沿いの“表”部分にはオフィスビルが林立する一方で、その背後にひっそりと寺院などが軒を連ねているという構図で、両者の間に連続性はなく、いわばオフィスビルが旧市街の景観に“蓋”をしてしまっている状態だ。それでも、御供所町周辺などはまだ良いほうで、その他のエリアになると、ビルが立ち並ぶ隙間にひっそりと寺院が点在するような有り様。もはやそこに、旧市街の情緒はあまり感じられないといっていい。

(左上)博多座、(右上)博多リバレインモール、(左下)川端商店街、(右下)博多部には多くの神社仏閣が存在する[写真は善導寺]
(左上)博多座、(右上)博多リバレインモール、
(左下)川端商店街、(右下)博多部には多くの
神社仏閣が存在する[写真は善導寺]

 もちろん博多祇園山笠や博多灯明ウォッチングなど、まちを挙げての大規模な祭りやイベントが開催されることはあり、その期間中は博多部全体が一体となって盛り上がりはするのだが、あくまで一過性のもの。ハード的にもソフト的にも、何かしら博多部を点ではなく、線や面でつないでいく仕組みがほしいところだ。博多旧市街プロジェクトの施策による、まち歩きコースの策定やまち歩きガイドコンテンツなどはそうした仕組みの一端を担うものではあるものの、まだまだ足りていない感は否めない。官民連携の下、博多部としての魅力をいかに打ち出していくかは、今後の大きな課題だろう。

【坂田 憲治】

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