2024年04月29日( 月 )

「いかに良い社会的資産を残すか」元福岡市幹部の回顧録(後)

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まちの熟成とともに 評価向上のアイランドシティ

アイランドシティ整備事業(港湾空港局アイランドシティ事業部資料より)
アイランドシティ整備事業
(港湾空港局アイランドシティ事業部資料より)

 改めて、今回のアイランドシティの場合は、94年の着工からバブル崩壊やリーマン・ショックといった景気の低迷期を経て、28年間を費やしての完売となった。もちろんこの間の道のりが平坦でなかったのは、前述のシーサイドももちと一緒だ。

 「今でこそ立派な街になりましたが、できた当初のアイランドシティはそれこそ何もない場所で、売り込みには相当苦労しました。我々市職員が何十社も回って頭を下げて『買ってください』とお願いしても、けんもほろろの対応でしたね」(瀧口氏)と振り返る。

 アイランドシティのまちづくりエリアにおける初期の住宅地開発にあたっては、市側がアニメ映画監督の宮崎駿氏にまちづくりへのアドバイスを依頼。その後、宮崎監督から届いたイメージスケッチを基に、03年11月に福岡市は「照葉(てりは)」と名づけた構想を発表した。ところが発表直後に、宮崎監督は「スケッチはあくまで参考情報として提供したもの」「住宅開発などという大それた事業に関わる気はない」などとして自身の開発への関与を否定し、当時の山崎広太郎市長宛に抗議の手紙を提出。アイランドシティの住宅地開発は、初期の構想段階からケチが付いたかたちとなった。

 こうした初期段階でのつまづきにも起因する土地売却の難航や、「ケヤキ・庭石事件」といわれる汚職事件などもあり、一時のアイランドシティは福岡市政における“お荷物”的な存在だった。その状況が好転したきっかけは、何だったのか──。

 「少しずつ開発が進むにつれて、まちが熟成していき、アイランドシティの評価が次第に高まっていったことです。緑が多くて街並みに統一感があり、教育環境も含めて住環境が良いことが評価されてきたことで、まちに勢いが生まれてきました。そうすると、以前は“塩対応”だった企業側も、今度は手のひらを返したように、向こうから頭を下げてくるようになりましたね(笑)」(瀧口氏)。

 その間、福岡市の人口は13年5月に150万人を突破。今なお増加傾向で推移しており、22年10月1日現在で163万1,409人となっている。人口の多さ=都市の力という単純な計算式が成り立つものでもないが、人口の多さが都市の活力を生み出す源泉の1つとなっていることは間違いない。160万人超の人口がもたらす経済活動は、市内だけでなく都市圏全体の広範囲にも波及効果をもたらしており、住宅開発のほか、物流拠点や工場施設などの開発も誘発。いずれ頭打ちになるとはいえ、当面はまだその勢いに陰りは見られない。冒頭に触れた今回のアイランドシティ完売のニュースも、福岡の都市力がいかに高まっているかを示すものだといっていいだろう。そしてその陰に、瀧口氏のような先人らによる水面下の尽力があったことは想像に難くない。

 「百道浜もアイランドシティも、当初は苦労しましたけれど、皆が苦労した結果、それなりのかたちに着地できたように思います。こうした事業を進めるうえでは、うまくいっているときにはあまり考えませんが、うまくいかないときには『何とかしないといけない』といろいろと知恵を振り絞るものです。また、綿密に計画を立てても、現実の事業環境はどんどん変わっていきますから、その時代・その時代にきちんと適応していかなければなりません。行政が行う事業―とくに土地開発事業というものは、民間企業と違って儲け仕事としてやっているわけではありません。やはり、いかにして福岡市にとって良い社会的資産を残すか、それに尽きると思います」(瀧口氏)。

(了)

【坂田 憲治】

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