2024年05月24日( 金 )

丘陵の閑静な住宅地「福岡・小笹」(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

小笹エリアMAP

長らく人が住まなかった平尾丘陵の一角

 北側は南公園(福岡市動植物園)、南側は鴻巣山という2つの丘陵に挟まれたエリアである中央区小笹。福岡市の中心部からは程良い距離間にありながらも、自然あふれる緑豊かな閑静さも兼ね備えており、多くの集合住宅や戸建住宅が建ち並ぶ人気の住宅地である。

 「小笹」という地名は、一帯に笹やぶの丘陵や谷間が広がっていたことから名付けられたという説と、博多どんたくの出演者が訪問先でいただくご祝儀の笹をこの地で採ったことに由来するという説があるが、その真相は定かではない。ただいえるのは、いずれの説にせよ、この地が笹の生い茂る丘陵地だったことを示している。実際に、小笹エリアはそのほとんどが斜面地となっており、エリア内を東西に貫く筑肥新道の周辺を除けば、平坦な場所は皆無といってよい。筑肥新道と大休山通り/水道路通りが交わる小笹公園のあたりをすり鉢の底として北に南に傾斜地が広がり、どこに行こうとしても坂道を登らざるを得ない──小笹とはそんな場所だ。

北側には福岡市動植物園が隣接する
北側には福岡市動植物園が隣接する

    その小笹では現在、県下最大級の団地「小笹団地」を舞台として、建替えを軸とした再生事業が進行。2007年度から20年度までの約14年間をかけ、1~3期に分けて団地北側エリアで新たに6棟が完成した。今後は北側エリアの余剰地において、さらなる開発が進んでいく予定だ。

 今回、小笹エリアにスポットを当てて、その開発の歴史や地域特性、動向などを探ってみたい。

● ● ●

 今でこそ閑静な住宅街といった様相の小笹だが、もともとは福岡平野のなかに形成された平尾丘陵の一角であり、近世まで長らく、人の居住した形跡はあまり確認されてこなかったエリアだ。同エリアにおいては、古代の遺跡の分布などはほとんど知られておらず、周辺部の遺跡なども少ない。唯一あったとされるのが、昭和期の小笹団地の造成にあたって行われた現地調査によって発見された、弥生時代の墓地である「小笹遺跡」だ。

 同遺跡は、6基の石蓋土壙墓を主とし、ほかに祭祀遺構をともなう土壙墓やピット(小さな穴や細い穴状の遺構)群からなる墓地群とされている。ただし、同遺跡に埋葬されたであろう被葬者集団の居住地の遺構は近隣から見つかっておらず、西に位置する樋井川によって開析された谷水田に生産基盤を置いていた集団のものと推定されており、あくまで墓のみがこの地につくられたようだ。なお、同遺跡は「小笹遺跡」という名称ではあるものの、厳密にいえば現在の住所でいう「城南区長尾2丁目」の笹の台団地の南側に位置している。また、遺構の大部分は団地造成工事に関連して破壊されてしまっており、残念ながら現存はしていない。

 古代以降も小笹の地は、単なる山や丘陵として認識されており、人が住むにはあまり適した地ではなかったようだ。1779(安永8)年に描かれた「筑前国中図(写)」のなかでも、福岡城の南側エリアに「薬院」「平尾」「高宮」「野間」「三宅」などの地名は確認できるものの、その西側に位置する現在の小笹エリアについては、山・丘陵が描かれているのみ。同時代の別の絵地図でも同様で、長らく小笹の地に人が住んでいた様子は見られない。

エリア内には今も多くの緑が存在
エリア内には今も多くの緑が存在

    明治・大正期に入ってもこの状況は続いていたようで、1926(大正15)年に発行された「最新福岡市街及郊外地図(『帝国都会地図』9)」においても、丘陵の谷筋に沿って道のようなものは確認できるが、小笹の地は相変わらず山中といった描かれ方である。こうして長らく小笹には、まとまった集落・人の居住地などは形成されていなかったようだ。

駅開業で切り拓かれたが開発それほど進まず

 小笹における開発が徐々に進んでくるのは、昭和期に入ってからだ。

 1919(大正8)年3月に設立した私鉄の北九州鉄道(株)(設立当初の社名は北九州軽便鉄道(株))によって博多(福岡)~伊万里(佐賀)の鉄道路線が計画され、25(大正14)年6月には新柳町駅(後に筑前高宮駅)~姪浜駅間が開業。小笹の地にも鉄道線路が通ることになった。ただし、このときはまだ線路が敷設されただけで、駅はなかった。

 駅ができたのは、それから6年後の31(昭和6)年1月のこと。新柳町駅と鳥飼停留所(25年6月開業/後に鳥飼駅)の間に、小笹停留所として設置された。その後、37年10月に国が北九州鉄道を買収・国有化して「国鉄筑肥線」とし、このときに小笹停留所も「小笹駅」となった。

水道路通り
水道路通り

    こうして、駅周辺を中心として小笹の開発もようやく進んでいく──と普通であればそう思うのが当然なのだが、残念ながらそうでもなかったようだ。駅開業後も、小笹ではそれほど開発が進まなかった模様で、40(昭和15)年発行の「最新福岡市地図改訂新版」を見ても、駅周辺はほとんど市街地化されていない。鉄道線路に並行するかたちで道路が整備されているほか、小笹駅から南方向に向かって道路(現在の水道路通り)なども延びているが、駅前や道路沿いにいくつかの小規模な集落が散見されるだけ。やはり、いくら鉄道駅が開業したといっても、四方を山に囲まれた立地だけに、なかなか人の居住を誘導するには至らなかったようだ。なお、小笹エリア東部にあたる鴻巣山に陸軍の射撃場が置かれたことで、あえて一般人を寄せ付けないために小笹での開発が阻害されたことも考えられなくはないが、定かではない。

 なお、小笹の北側エリアでは、23(大正12)年12月に福岡市初の浄水場として「平尾浄水場」が完成し、27(昭和2)年には平尾浄水場の北側で城南線(路面電車)が開通。するとそのころから、浄水場の給水管が埋設された通りの一帯では、九州大学医学部の教授宅をはじめとした大邸宅が次々と建てられ、今でも福岡を代表する高級住宅街として知られる「浄水通」の原型が形成された。だが、そうした高級住宅街化の余波は、直線距離的には近くとも山を1つ隔てているという地勢的な理由もあって、小笹にまでは届かなかったようだ。

(つづく)

【坂田 憲治】

(中)

月刊誌 I・Bまちづくりに記事を書きませんか?

福岡のまちに関すること、再開発に関すること、建設・不動産業界に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。

記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。

企画から取材、写真撮影、執筆までできる方を募集しております。また、こちらから内容をオーダーすることもございます。報酬は1記事1万円程度から。現在、業界に身を置いている方や趣味で再開発に興味がある方なども大歓迎です。

ご応募いただける場合は、こちらまで。その際、あらかじめ執筆した記事を添付いただけるとスムーズです。不明点ございましたらお気軽にお問い合わせください。(返信にお時間いただく可能性がございます)

関連記事