2024年05月06日( 月 )

知っておきたい哲学の常識(41)─科学篇(1)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

哲学なき時代

 この地球は大きな磁石であり、そのことは方位磁石の針が北を指すことなどからもわかる。では、地球はどのようにして大きな磁石となったのか、その理屈を発見したのがエルサッサーである。

 彼によれば、地球の中心部にある鉄の熱球の周辺部が対流を起こし、発電機と同じように電気を起こす。その電気が流れると磁気が発生し、それによって地球全体が大きな磁場を形成するというのだ。

 このエルサッサー、もともとは原子核の構造を研究していたが、物理学の行く末を案じた挙句これを捨て、地球全体のことを調べるようになった。最後は生物学者になった人である。

 彼を動かし続けたのは、「科学は哲学でなくてはならない」という信念であった。自分の世代でそれも終ったと痛感した彼は、「哲学をともなった科学はヒロシマのキノコ雲の中に消えた」と回想録に書いている。広島・長崎の原爆によって科学は哲学を失った、というのだ。

 では、そういう彼が考えていた哲学とは何だったのかというと、なにも古代ギリシャの哲学の伝統を言っているのではなかった。彼のいう哲学とは、科学者が自らの科学の方法を吟味し、その歴史的な意味づけを怠らないことをいうのであった。

 そういうわけだから、彼と同じ世代の原子核の研究者たちが、原子核の分裂による高エネルギーの放射を爆弾づくりに応用しはじめたことは、彼にとって哲学の放棄にほかならなかった。なんとなれば、彼ら原爆製造者たちは原子核分裂の理屈はわかっても、その哲学的な意味づけにはうとく、そういう議論には興味がなかったからである。彼らは言ってみれば時代社会の要請に従う公僕のようなもので、これで科学者といえるのかというのがエルサッサーの思いであった。

 原子核の分裂は今日でも問題である。原子力発電は核分裂と核融合の力で成り立つものだからだ。つまりこれは、原子爆弾と同じ理屈を平和的に利用するものなのである。

 そもそも原子核の分裂とはどういうことなのか。物質の根源にある原子の核が分裂するというのだから、これは地殻変動にも匹敵する大事件であろう。そのことの意味を問わず、専門家と政治家と大企業は、ただそこから生まれる莫大なエネルギーにのみ興味をもつ。なんとなれば、それが金になるからだ。

 エルサッサーに戻れば、彼は科学の発見はつねに時代社会の傾向を反映していると理解した。すなわち、いくらすごい発見でも、社会がそれを求めていないときは「発見」とは見なされず、むしろ無視されるが、たいした発見でなくとも、それが社会の歓迎するものであれば脚光を浴び、やがてトレンドとなると見たのである。

サイバネティックス イメージ    そういうエルサッサーも、人生の後半にはコンピューターが登場したので、これを一台買っている。しかし、使い方がよく分からず、その原理を調べてみてわかったことは、コンピューターが基本的に人間の脳と同じようにはたらいているということだった。そこから彼の新たな探究、すなわち生物学者としての研究が始まった。彼は人間の脳がコンピューターと同じなのか、違うのかを見極めようとしたのである。

 コンピューターすなわち電子計算機と人間の脳とはどこが異なるのか。人間の脳は生物の一部であるから、これは機械と生物の比較ということになる。彼のこの探求は、「初めは神童、あとは凡人」と自称したウィーナーのサイバネティックス理論に大いに刺激を受けている。

 サイバネティックスとは機械と生物に共通するシステムのことで、それが機能するには自動調整装置とフィードバック機能が必要だというものだ。エルサッサーは生物と機械がこの点で一致することを確認したうえで、生物にあって機械にないものは何かという問題を追求したのである。

 彼が突きとめたのは、生物はコンピューターより自動調整もフィードバックも精度が高いことと、全体の運用に要するエネルギーがはるかに少なく経済的であること。そしてなにより、複雑な要素の結合した再生すなわち増殖が可能で、これはコンピューターにはできないことだとわかったのである。

 生物にはコンピューターがはるかにおよばない特質があるという彼の結論は、私たちの直観でもわかることである。科学者であった彼は、その直観を科学的に立証してみせたのだ。一般人である私たちとはちがって、科学者は何事も合理的に説明し、また実験的な証明を必要とする。エルサッサーの証明は、私たちの直観が正しいことを示したのである。

 ところで、現代は人工知能の時代である。エルサッサーなら、人工知能もコンピューターであるから、人間の脳も含めて生物の多様性と複雑さにはおよばないと言っただろう。

 では、人工知能、恐れるに足らずか。そうともいえない。人智のほうが人工知能の水準に落ちる可能性がないとはいえないし、巨大な利益を求める精神は、人智のレベルを引き下げることで人工知能を売り込むチャンスを広げようとするからである。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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