2024年05月07日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(44)─科学篇(4)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

寺田寅彦を読もう

金平糖 イメージ    現代文明は科学文明である。もっと正確にいえば、技術化した科学の文明である。技術化した科学とは、実用に役立つ科学しか望まない、哲学的考察は省く、という意味である。つまり、金もうけにならない科学、国家を強力にしない科学は無視されるということだ。

 そういう時代にあっては、科学とほかの分野とをつなぐものがない。まして、文学との連携などない。文学は文学で、科学でないから文学だと意地を張るのだ。

 このような事態は乗り越えられねばならない。そこで目を向けたくなるのが、たとえば宮沢賢治である。賢治といえば、童話『銀河鉄道の夜』の作者。彼の書いた詩も、劣らずすばらしい。彼の書いたものすべてに科学と文学の融合が見られる。

 彼の詩文にはなるほど科学用語が多く、本人も科学と芸術と宗教の一致を目指すと言っている。だが、彼は科学の向こうに宗教を求める神秘思想家であって、真の科学者とはいえない。その点では、科学者で文学と科学を股にかけた寺田寅彦のほうが現代人には合っている。彼の随筆は多くの人に読まれてきたが、今こそ真剣に読み返されねばならない。

 彼の随筆は中身が濃いので、じっくり考えながら読む必要がある。1つひとつは長くないし、電子版があるので、スマホでも読める。毎日の哲学を望む人には最適の読み物だ。

 そう、彼の科学には哲学があるのだ。その意味で彼は正統派である。たとえば彼は言う。「宗教も、芸術も、一度科学の濾過を通さなければ、これからはダメだ」と。科学的に納得のいかない宗教は信ずるに値しない。芸術もただ有り難がっているだけではダメで、これも科学的分析に耐えるものでなくてはならない。そう言うのである。

 「そんなバカな。科学にそこまで出しゃばらせるのか」といきり立つ人もあるだろうが、そんな人でも自分の命を医者に預けていることを忘れてはいけない。医学は立派な科学なのである。科学は私たちの生の隅々にまで入り込んでいる。

 多くの人は「芸術は科学のおよばない世界」と思っている。「宗教は信仰が大切なのであって、それが私たちを救う」という人もあろう。しかし、寅彦は遅かれ早かれそれでは通用しない時代がやって来ると見た。皆さん、これをどう思いますか。

 科学の世界では、朝生まれた理論が夕方には虚偽だと判明するかもしれない。科学は出来上がったものではなく、生成中のものなのだ。今後、どういう結論が出てくるか、科学者にもわからない。従って、科学と宗教が対立するとか、科学と芸術は別物だとか、そうした議論をしても意味がないのである。

 寅彦は文学と科学を股にかけた人と言ったが、それは彼がたくさんの随筆を書いたからではない。彼が俳諧詩の実践者だったからである。数人の仲間と展開する連句の世界は、彼にとって心のオアシスだった。彼は俳諧詩に科学と同じほどの情熱を傾けていたのである。

 連句は俳句と違って数人で次から次へ句を並べ、みなで詩の創造を楽しむものだ。前の句との連続性だけでなく、非連続性も必要とする高度な文芸ゲームである。俳句は1人でつくり、それで満足する世界だが、連句は常に他者に開かれ、その結果は共有される。寅彦はそこに文芸のエッセンスを見たのである。

 彼の随筆には俳諧論もあり、それを読むと彼がどのように連句を見ていたかがわかる。それによれば、連句の世界はフロイトの自由連想法に似て、人間の無意識を覚醒させるものなのである。しかも、フロイトのとはちがって、複数の人間の無意識が絡み合って展開されるから、より複雑である。連句がうまく行くとは、複数の無意識の連合から共同の美意識が生まれることだというのである。

 しかし、いくら彼でも、俳諧を日本的な自然理解の仕方であり、それは西洋科学に匹敵するとまで言うのには驚きである。「えっ?俳諧と科学が同格?これ、どういうこと?」と誰しも思わざるを得ない。

 寅彦によれば、俳諧は和歌の原理を展開したもので、和歌は自然現象をいくつかの観点から分類し、それを詩歌の形式に整えたものである。一方の科学は、同じ自然現象を別の観点から分類し、それを数式の形式に整えたものである。観点は異なるが、両者とも、自然現象を分類して理解する点で一致するということになる。

 この考えを突き詰めれば、俳諧も科学も究極は同じということになる。2つとも自然理解の方法であり、どちらが優っているともいえないのだ。そうなると、寅彦のようにこの両方をマスターした人間は、単なる文学者よりも、単なる科学者よりも一段上に立つことになる。

 今日、このような高みに到達できる人間が何人いるだろう。世界中探しても、そう多くはないはずだ。だが、彼のような科学者にして文学者であるような人間が今ほど必要なときはない。忙しくても、彼の随筆の1つぐらい15分で読める。読んでしまえば頭に残るのだから、ぜひ読んでいただきたい。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

(43)

関連記事