2024年07月21日( 日 )

知っておきたい哲学の常識(43)─科学篇(3)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

二つの科学

北九州 工場 イメージ    昨日、北九州市のある工場を訪ね、その所長に会った。かつて大学で教壇に立ったこともある人で、知識も豊富、何より好奇心の塊であった。

 会うといきなりこう言う。「うちの工場はときどき国内から大学の先生とかを呼ぶんですけど、理系の先生には失望しています。自分の専門以外のことを知らないし、関心もない。専門バカを通り越して、ゾンビみたいです。」

 じゃあ文系の先生はよいのかというと、「世間話をするにはいいですが、こちらを啓発してくれるような人は稀ですね」という。釘を刺された気がしたが、今さら引き返せなかった。

 工場にはおよそ150人の男女が働いているという。だが、工場見学は途中でやめ、所長室でお茶をいただいた。入ってみると、大きな書架が3つも並んでいる。ちょっとした図書室である。本が綱目ごとに並んでいて、たいしたものだと思った。

「こんな工場にも、本好きがいましてね、時々本を借りにくるんです。そういう人には、まあ座れ、少し話をしようじゃないかと言うんですが、なかなかその勇気がないようで、こちらとしては物足りないな。」

 書架に並ぶ本のなかに『評伝シリーズ』というのがあった。全部で20巻はあったと思う。そのなかに『マイケル・ファラデイ』というのがあったので、手にとってみた。日本では『ロウソクの科学』で知られるファラデイである。小学校しか行かなかったのに物理学の大発見をした。英国版二宮尊徳と思っている人もいる。

 ところがその所長、「ファラデイといえば電磁場理論です。それをマクスウェルが数式化したわけですが、このマクスウェルがファラデイのことをどう評価したか、知っています?」といきなり聞いてくる。

 こちらは物理学など知らない身だから即答を避けると、「これが面白いんですよ、実に…」と本人は楽しそうだ。そこからは、所長の科学談義である。

「マクスウェルはいわゆる科学者でね、つまり数学が得意なんです。ところがファラデイは小学校しか行ってないから、高等数学なんてまったくわからない。でも、逆に発想は自由で豊かだし、マクスウェルはそこに感動したんですね。それで、ファラデイが考えたことを数学的に表現したらどうなるだろうと必死に考えた。その結果がマクスウェルの方程式ってやつです。」

 この所長、とんでもない人だとそのとき思った。しかし、それは作業服を着ているからで、思い出せば工学博士なのだ。

 聞いているだけでは失礼と思ったので、こちらからも質問してみた。「数学ができないと発想が豊かになるんでしょうかね?」

 すると所長、少し考えてからこう言った。「必ずしもそうとは限らない。問題は図形ですよね。ファラデイは図形で考えたんです。イメージでね。マクスウェルは代数です。代数にイメージは必要ない。数式にしてしまうと計算が楽で、答えも正確です。このちがいですよ、2人の場合。」

「ははあ、なるほど。それならわかります。息子をアメリカの高校に留学させた私の大学時代の友人が言っていました。アメリカの高校では幾何学コースと代数コースがあるって。このどちらに進むかは、生徒の資質によるっていうんです。」

「それはいい学校の場合でしょう。そんな配慮をしない学校が圧倒的に多いと思いますよ。」アメリカ留学を経験しているからか、所長は平然とそう言った。

 所長室での会談はその後1時間にもおよんだ。実りある2時間だった。

 家に帰って、マクスウェルとファラデイについて調べてみた。そして、マクスウェルがファラデイについて次のように言っているのを知った。

「ファラデイは最初に全体を見てしまう。その全体から細部へと目を向ける。数学に慣れている人はその逆で、最初に細部を考察し、それを集めて全体を作り上げる。」

 マクスウェル自身は数学に慣れていたので、もちろん後者である。彼は数学ぬきで物理学をするファラデイに魅せられたのだ。森を見て、そこから個々の木を見るファラデイ。個々の木を見て、そこから森を考えるマクスウェル。同じ科学でも正反対だ。

 つまり、数学を基礎に置く科学者と、直観で世界を理解しようとする科学者と、科学者にも二種あるということだ。前者はただの科学者だが、後者は自然哲学者と呼ばれる。

 もっとも、自然哲学は日本では聞き慣れない。明治以降、西洋の科学を吸収してきたといっても、その根底にある哲学ぬきでやってきたからだ。寺田寅彦のように自然を哲学する例外もあったが、欧米に追いつく最短コースは技術としての科学を受容することだった。日本の科学に問題があるとすれば、まさにそこなのだ。

 科学に限らない、外国から思想なり芸術なりを受容するとき、その母体となっている考えをつかむ必要がある。ところが、その面倒は省こうという人があまりに多いのだ。これでは上すべり文化しか生まれない。そうでしょう?


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

(42)
(44)

関連記事