2024年05月12日( 日 )

九州の観光産業を考える(12)ポスト終の棲家・居心地比べ

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多死社会の到来

 7月26日、総務省が発表した人口動態調査によると、福岡市の人口は1月1日時点で158万1,398人。市区別の増加数では福岡市が全国首位となった。

 ただ今回の調査では、初めて全国すべての都道府県で人口減が観測されている。福岡市が人口増でも福岡県は3,586人減となっており、日本中がいよいよ少子高齢化、多死社会の到来を眼前に突きつけられた。

 「2025年問題」というのがあるらしい。25年以降、団塊の世代が順次75歳以上の後期高齢者となり、40年には90歳以上の超高齢者が人口構成比の少なからざる部分を占めることを指す。医療の進歩、健康意識の高まりを勘案すれば、元気な超高齢者が多数健在するとも思われる。その傍ら、尽きる寿命も桁数を高める。高齢者の多くが限界集落、消滅集落、消滅都市を離れ、医療・介護サービスなどを手近に利用可能な大都市部へ、都会暮らしをする子どもらの元へ移り住んでくる趨勢は、九州アイランド随一の大都市、福岡もたどることになるのだと想像する。

都市生活での弔いとは

墓を継承するのが徐々に困難な社会へ変質している
墓を継承するのが徐々に
困難な社会へ変質している

    25年以降、団塊世代が75歳以上になり、後期高齢者人口は約2,200万人に膨れ上がると厚生労働省は試算する。高齢で亡くなる方は必然的に増えていくだろう。30年代には年間160万人超となり、40年代にピークを迎え、以降の10年程度は年150万人台が続くと予測する研究者もいる。その後、多死社会は減衰し、2070年には人口9,000万人を割り込んだ日本社会の憂鬱が描かれる。極大化した頭でっかちの人口ピラミッドは歪なラインを幾分か緩めるだろうが、高齢化率39%という安定感の悪い逆三角形に変わりはなかろう。

 看取りはどうなるのだろう。核家族化した親子関係、独身者の増加、収入格差は、自分たちの父母、祖父母の葬送への臨み方を大きく変えていくのではないか。大都市での暮らし、郷里の様態、葬祭に関わる都度の往来、関係者の顔ぶれ―自分自身の始末をどうつけるのかさえ、多死社会を目前にした今日、すでに旧来のお仕着せを脱しつつあるようだ。

 葬送にまつわるキーワードを書籍やネットサーチから拾えば、以下のように列挙できる。終活、葬式、法要、檀家、宗教観、戒名、家族・家系、墓石、墓地・霊園、先細る寺院経営、死生観、直葬、不明瞭な葬儀関連費、需要増、遠隔地へ墓まいり、継承困難、無縁墓、改葬、墓じまい、共同墓地、永代供養、散骨、納骨堂、樹木葬…。つまりは現状の葬送に対する現実離れ感、不満、違和感が充満しているようにしか見えない。

御霊の安住地は黄泉に非ず

 「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません」──。

 作者不詳のアメリカ発の詩に日本語訳と旋律を付け、06年にリリースされた歌。その世界観は我が国で社会現象となり、歌い継がれるスタンダード曲となった。国民の多くが墓というモノに抱いていた内心の吐露に導かれ、死生観が同期してしまったと思われる。社会通念に抗えなかった小羊たちの背中を、情感豊かな歌詞が押したとみる向きもある。

 しかし、この歌詞は墓自体を否定してはいない。礼拝する対象物として在ることを受け容れ、追憶の旅へ赴くための起点装置として据えている。後段では「あの大きな空を吹きわたって」「秋には光になって」「冬はきらめく雪に」「朝は鳥に」「夜は星に」と、魂は想いを寄せてくれる人のすぐそばにいつも寄り添っているのだと説く。つまり、墓という地表に固定された質量の居所にこだわる必要はないのだと訴える。

 さらに進んで、最近は墓自体を求めない考えや行動も生まれてきている。樹木葬、それも死した後は土に還ること、森の一構成要素となり、分子レベルで自然循環に委ねることを本来的な目的とする葬送スタイルだ。まさに「千の風になって」の理念ではないのか。

 99年11月に開設された知勝院(岩手県一関市)が、我が国初の樹木葬とされる。以降、樹木葬、樹林葬と称する墓所は増え、ネット検索すると全国に現在千件以上があると表示される。遺骨を埋葬する形式などの自然への回帰方法、度合いによって異なるパターンが見られるらしいが、要は親族の誰かが面倒を見続けなくてはならない墓地への忌避と受け取れる。

森を再生するなかで自らを自然へ還していく樹木葬もありか
森を再生するなかで
自らを自然へ還していく
樹木葬もありか

    今日でも、盆や彼岸の帰省旅行は交通機関の混雑を招くが、その旅行者属性は変質している。爺ちゃん婆ちゃんに孫を会わせはしても、実家の墓へは関わりたくない人たちだ。次男坊や三男坊どころか、長男の嫁すら実家の墓に入るつもりはない。住み慣れた都会の納骨堂に逃避したいというのが一形態。そして“先祖代々”や葬儀のしがらみから離れ、自然に同化したい、土へ還りたいと願う人の想いが樹木葬へ向かう。

 納骨堂は遺骨が存在するが、樹木葬は本来、骨も消えてなくなる。多死社会で墓地面積や石塔の基数が慮れるが、海外の樹木葬は森の再生事業ともなっている例も多い。遺骨に執着する日本人が、納骨堂や樹木葬亜流に眼を向けるのは、当面やむを得ないかもしれない。

 都会に忽然と現れる石塔の群生地、駅近くに屹立する納骨堂という光景と、ほどよく離れた山野に葬られ自然循環のなかで、風となって吹き渡ろうという心象風景が、統計データに交錯して見えてくる。


<プロフィール>
國谷 恵太
(くにたに・けいた)
1955年、鳥取県米子市出身。(株)オリエンタルランドTDL開発本部・地域開発部勤務の後、経営情報誌「月刊レジャー産業資料」の編集を通じ多様な業種業態を見聞。以降、地域振興事業の基本構想立案、博覧会イベントの企画・制作、観光まちづくり系シンクタンク客員研究員、国交省リゾート整備アドバイザー、地域組織マネジメントなどに携わる。日本スポーツかくれんぼ協会代表。

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