2024年05月05日( 日 )

明治からの石造建築が残る新島

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固有の景観とモダニズム

 先日、建築調査のため伊豆諸島・新島を訪れた。新島へは、竹芝桟橋(東京都港区竹芝)からフェリーで行くことができる。夜に出港するフェリーに乗ると、朝8時には伊豆大島、利島、そして新島に着くことができる。甲板に上がると、水面に照らされた朝靄の向こうに山が2つ見えてくる。その山と山に挟まれた平地に、石のブロックでできた町並みが広がっている。

 新島には、明治以来の石造建築が多く残っている。石を積み上げてつくった家屋や豚舎、石塀が連なり、屋根を石で葺いているものもある。島を歩くと、軒の低いさまざまな建物が、狭い路地を挟んで次々と現れる。建物の構造は木造のフレームの外側に石のブロックを積んだものと、純粋に石の壁だけで屋根を支えているものなど、いくつかの種類がある。形式的には関東の木造民家が石の民家に石化したものとされるが、その説明だけでは言い尽くせないバリエーションがあるように思う。

 建築というのは、海をわたってきたのか、それとも島からわたっていったのか。少なくとも私たちは、海をわたってきたものだと理解している。なぜなら文明の起源はいつでも大陸で、建築というのは文明に乗ってやってくるからである。エジプトにギリシャに黄河──建築というのは、その様式の渡来と変化のことをいう。小さな民家建築でもそうである。

 しかし、新島の固有の景観を見ると、本当にそうだろうかという気もしてくる。ギリシャも最初は、島のようなものだったのではないか。その島々の地方建築を、2000年以上語り継いで(間に断絶はあったにせよ)広めると、ヨーロッパの古典建築となる。建築史の叙述とは島的なものを大陸的とし、もしくは本土的として、様式史となった。その叙述の方法は、数直線的な時間軸を前提とする新築のリスト化である。モダニズムは、その数直線の最先端に自らを位置付け、20世紀のモダニストたちは修復を忘れた。

分かれていなかった建築の領域

 私が住む北海道・小樽における目下の大工事は、明治の日本郵船小樽支店、次に新幹線小樽駅、その後は昭和初期の小樽駅だろうか。パリの大工事はノートル・ダム。当然のことながらゴシックの時代が終わったからといって、ゴシック建築の工事が終わるわけではない。様式の時代区分と工事の進捗というのは、別問題である。様式史は、都市の現実をとらえなかった。時間というのは身の回りで行ったり来たりしている。その過去と現在、もしくは未来を行ったり来たりするのは、設計の作業場ということになる。

 これは土着建築と様式建築、それと修復と新築という20世紀に分け隔てられた建築の領域の問題である。かつてのプロフェッションは、そんなに分かれていなかった。しかし、洋館に関われば、和風に関わることもあろう、新築をすることにもなるだろう。それは身の回りに関わるということであり、島的なことでもある。新しい叙述方法も必要になるということなのだ。


角 玲緒那 氏<プロフィール>
角 玲緒那
(すみ・れおな)
1985年北海道生まれ、札幌市立高等専門学校卒業、九州大学大学院芸術工学府博士課程単位取得退学。(株)建文を経て、2022年に角玲緒那建築設計事務所を設立、現在に至る。

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