2024年05月19日( 日 )

カジノ賭博で大散財した井川大王製紙元会長 YouTubeで活動再開(前)

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 カジノ賭博で106億8,000万円を熔かした大王製紙元会長・井川意高氏が2023年7月からYouTubeチャンネルを開始した。タイトルは「井川意高が熔ける日本を斬る」。政治経済、経営、グルメ、恋愛などについて独自の視点で語っている。有料メンバーになると、月2回のニコ生(有料チャンネル)ライブ配信の有料部分をすべて見られる。登録者数は約13万7,000人。

幻冬舎の見城社長の後ろ盾でユーチューバ-になる

YouTuber イメージ    井川氏(59)の著書『熔ける 大王製紙元会長 井川意高の懺悔録』(双葉社、のち幻冬舎文庫)、『熔ける 再び そして会社も失った』(幻冬舎)が異例のロングセラーとなっている。文庫版は累計20万部を超えた。

 創業家3代目の御曹司は自らの生い立ちや海外カジノのバカラ賭博に興じて106億8,000万円を失い、会社の金をつぎ込んだ背任事件で有罪判決を受け、塀の内側に落ちた。そんな転落劇のすべてを生々しく綴っている。

 現在はYouTubeで積極的に発信している。「刑務所の裏側」のコーナーでは、逮捕された後の刑務所生活のすべてを公開。何が1番つらいか、受刑者しか話せない、刑務所でのヤバすぎる生活を話している。

 「交遊録」のコーナーでは、尊敬する幻冬舎・見城徹社長とのエピソードを話す『熔ける』を出版した幻冬舎の社長だ。石原慎太郎『弟』、五木寛之『大河の一滴』、村上龍「13歳のハローワーク」などミリオンセラーを送り出してきた出版界の生きる伝説だ。

 見城氏は1950年静岡市生まれの73歳。清水南高校、慶應大学法学部政治学科を卒業後、廣済堂を経て角川書店に入社。同社では創業者の角川源義氏の後を継いだ長男の春樹氏と弟の歴彦氏との間で、激烈なお家騒動が勃発し、歴彦氏が勝利して春樹氏は去った。春樹派だった見城氏は93年に独立して設立したのが幻冬舎だ。

 見城氏はユーチューバーに転身した井川氏の後ろ盾といえる。

106億円を使い込んだ3代目御曹司の逮捕

 井川意高氏の足跡について、『熔ける 再び』、有森隆『創業家一族』(エムディエヌコーポレーション)を基に振り返ってみよう。

 ティッシュペーパー「エリエール」ブランドで知られる大王製紙の井川氏が東京地検特捜部に逮捕されたのは、11年11月22日のことだ。子会社4社に損害を与えた会社法の特別背任が逮捕容疑だ。会社法の特別背任罪とは、会社経営に重要な役割をはたす人物が自分や第三者の利益のため、任務に背いて会社に損害を与えた際に成立する。罰則は刑法の背任罪より重い。創業家三代目御曹司による大王製紙グループの私物化は刑事事件に発展した。

 特捜部は、井川氏が11年7~9月、自身が代表取締役会長を務める、いわき大王製紙など子会社4社から、取締役会の承認決議も担保もないまま、7回に分けて総額32億円の融資金を自分名義の口座に振り込ませ、4社に損害を与えた容疑で逮捕するとともに、会社法の特別背任罪で起訴した。さらに12月22日、子会社3社に計23億3,000万円の損害を与えたとして追起訴し、捜査を終結させた。立件総額は計55億3,000万円となった。

 大王製紙の特別調査委員会は、井川意高氏の子会社7社からの借入金は計106億8,000万円と認定した。

 その後の特捜部の調べで、意高氏は09年ごろから、子会社とファミリー企業のほか、金融機関や知人からも借金を重ねており、借入総額は約165億円に上ることがわかった。意高氏は起訴内容を認めたうえで「ほぼ全額をカジノに使った」と供述したという。

 12年10月、東京地裁は井川氏に対して懲役4年の判決を言い渡した。意高氏は、東京高裁に控訴、さらに最高裁に上告して争った。13年6月、最高裁は上告を棄却し、懲役4年の刑が確定し、喜連川社会復帰センターに収容された。

 父親は帝王学と称して、息子に遊び方を覚えさせた

 井川氏は1964年7月、創業家2代目の井川高雄氏の長男として生まれた。幼少期は父の転勤で京都、米国で過ごし、帰国後は小学校6年2学期まで大王製紙の四国本社がある愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)で育った。その後、父の異動のため家族とともに東京に引っ越した。

 大王製紙は新聞用紙、段ボール原紙など産業用紙のメーカーだったが、高雄氏が家庭紙に進出。ティッシュペーパー「エリエール」を大ヒットさせ“中興の祖”と呼ばれている。

 高雄氏にとって意高氏は、後継者となる嫡男である。幼少のころから徹底した英才教育を施した。小学校のころ、愛媛の実家から飛行機で東京の塾に通い続けたというエピソードは有名だ。名門・筑波大学付属駒場高校から東京大学法学部に現役で進学した。

 高雄氏は帝王学と称して、遊び方を覚えさせるために惜しみなくカネを与えた。意高氏は東大在学中から、銀座の高級クラブで豪遊していたという。

 東大を卒業した88年4月、大王製紙に入社。高雄氏の後継者の座を約束されたプリンスは、三島工場次長を振り出しに、常務取締役、専務取締役と出世階段を駆け上がり、入社10年後の98年に代表取締役副社長となった。2006年4月から、子会社であった名古屋パルプの社長を約1年間務め、07年6月、42歳で大王製紙の第6代社長に就任した。大王製紙のドン・高雄氏は、手塩をかけて育ててきた意高氏をこうして檜舞台に引き上げたのである。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

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