2024年04月29日( 月 )

経済小説「泥に咲く」(14)次なるステップ

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 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

次なるステップ

 それからの勢事はとんでもなく忙しくなった。

 ステージに上がった勢事が熱弁を振るうと、プロポリスやローヤルゼリーといった健康食品が飛ぶように売れた。講演は朝十時、昼の2時、夜の6時という三部制で、1日に4,000万円以上を売り上げたこともあった。歩合は5%だったから、勢事の取り分はそれだけで200万円にもなった。

 こうなれば、「岡倉が勧めれば売れる」という情報が業界を走る。数社からのアプローチがあったが、勢事はそのなかで尼崎のガウザーという会社と契約を交わした。社長の檀浦は裏社会に通じている雰囲気をもっていたが人情家で、智徳学園の話をすると、大いに共感し、支援を約束してくれた。ネイチャーホールと、このガイザーの2社で、月の予定はどんどん埋まっていった。

 勢事の会社は急に金回りが良くなった。智徳学園は相変わらず赤字だったが、キャッシュの残額を気にすることはなくなった。ネイチャーホールからは、毎月500万円の顧問料を支払うという申し出があった。とくに何をしなければならない、ということはない。他社に移らずに、ただ今まで通り、自分たちの商品を売ってくれという、いわば契約料のようなものだった。

 これで生活が変わった。いや、変わったというよりも荒れた。勢事は現金でもらった講演料を、事務所の段ボールに無造作に入れていた。夜になると、そこから100万円の束を取り出し、ズボンの4つのポケットと上着のポケット、さらに両胸の内ポケットに突っ込んで、合計800万円をもって飲みに出掛けた。それくらいの金をもっていなければ、不安になるくらいだった。

 連れ歩くのは大学時代からの親友たちだ。金を出す身になったら、「おまえたち、今日も飲みに行くからついてこい」「おい、もう帰る気か。あと1軒いくぞ」「あの女、俺の代わりに口説いとけ」と、ついつい態度が尊大になる。あるとき、最も信頼していた友人から「おまえとは、もう一緒に飲みたくない」と言われた。

「勢事、おまえ、おかしいぞ。そんな人間になるくらいなら、金なんて稼ぐな。勢事、もうおまえ、死ね」

 そう言われても、勢事は自分の変化に気付けなかった。

「いいやん、俺が奢るんやから」
「そこよ、そこ。勢事、今のおまえにはわからんやろうな」

 勢事は智徳学園を閉めた。こうして次のステップに上がった今、道具としての役割が終わったからだ。赤字を垂れ流すだけの事業体など、もっている意味がなかった。

 一方で自ら健康食品の会社を立ち上げた。自分で講演し、自分の商品を売れば、もっと儲かる。その単純な構図に気づいたからだ。イベントの“手口”〟は知り尽くしていた。ガウザーから2人の社員を引き抜いて事業を拡大していった。

 これに怒ったのがガウザーの社長、檀浦だ。勢事は尼崎の事務所に呼び出された。ソファに深く座った檀浦の表情は、これまで見たことがない険しさだった。

「おい、先生、あんた、どういうつもりや。恩を仇で返すようなことしくさって」
「すみません」
「すみませんや、あらへんやろ。どう落とし前つけるんや」

 いったんデスクに戻った檀浦は、引き出しから刃渡り30センチはあろうかという包丁を取り出し、それをテーブルにどんと突き立てた。

「先生、わしゃあね、時々、狂気の世界に入るんや」
「社長、ヤクザじゃないんだし、これはないでしょう。どうしたら許してくれるんですか」

 勢事はこの状況を「まいったな」とは思っていたが、一方で恐ろしく冷静な自分を感じていた。実際、怒りにたぎる檀浦を見ながら、「俺、結局、この人のことが好きなんだな」などと考えている。

「許すも何も……なあ、先生、そしたら、これからは一緒に商売やろうや」
「一緒に?」
「そう、うちのグループに入れっちゅうことや」
「わかりました」
「え、ええんか?」
「はい。むしろ社長のノウハウを教えてもらえるならば、私たちにとっても好都合です」

 先ほどまで憤怒の表情だった檀浦は、途端、気の抜けたような顔をした。勢事がにやりと笑うと、檀浦は咳払いをして、眉をひそめて厳しい形相に戻す。

「これで許された思うなよ。本当に許すためには条件がある」
「条件?」
「条件ちゅうたら金やろが」
「いくらですか」
「300万で手を打とうやないか」

 勢事は思わず顔がほころぶのを隠すのに苦労した。たった300万でいいならば、安いものだ。勢事は鞄のなかに用意していた札束を封筒に入れると、包丁の横にそれを置いて席を立った。

「じゃあ、社長、これまで以上によろしくお願いします」

 勢事はそう言いつつ、頭は下げずに、ハウザーのオフィスを出ていくのだった。

(つづく)

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