2024年05月06日( 月 )

経済小説「泥に咲く」(24)喪失

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

喪失

 さゆみとは8年になろうとしていた。

 相変わらず、気性も、悋気も激しく、ぶつかり合うことも多かったが、しかし、関係が切れることはなかった。

 何度も大喧嘩をした。やはり激しくなるのは、さゆみの嫉妬が爆発した時で、しかし、それはしばしば、根も葉もない単なるさゆみの勘違いだった。勢事は理屈で説明しようとするのだが、逆上したさゆみは止められない。

「なめんな、きさま!」

 最後はいつもの名台詞だ。

 もちろん、勢事もじっと黙っているばかりではない。怒りをあらわにするときの、その激しさはさゆみのほうもよく知っている。電話で口論していたときのことだ。

「これだけ話てもわからんのか!」

 その日は、勢事もかなりヒートアップしていた。

「わかるわけが、なかろうが。あんたが女をつくるのが悪いんやろ」
「だから、違うって言いよろうが。よし、今すぐ行くけん、おまえ、そこにおれよ」

 勢事が車を飛ばしてさゆみのマンションに行くと、さゆみは愛犬を連れて、どこかに逃げていた。勢事の口調から、ただならぬ気配を読み取ったのだろう。もぬけのカラの部屋に一人で立つと、何もかもが馬鹿らしくなり、勢事は思わず声をあげて笑ってしまった。そして、その瞬間、さっきまでの怒りはどこかに吹き飛び、さゆみの体を強く抱きしめたくなるのであった。

 我ながら、おかしな関係だと、勢事は思っていた。支配されることが、こんなに嫌なのに、さゆみの嫉妬心を受け入れ、事実、他の女との付き合いもずっと絶っている。さゆみよりも若くてきれいな女を手に入れる術は心得ている。しかし、なぜか、その気になれないのだ。

「岡ちゃん、私、ポップコーン屋さんがしたいの」

 そう言われたら、「やめろ」とは言えない。百貨店の地下に店を出すときも、さらにもう一店舗を出店する際も、必要な金はすべて勢事が用意した。

 勢事にしてみれば、ママごとのような仕事ではあったが、さゆみは働くこと自体が楽しいようだった。人を振り向かせるに十分な愛嬌と元気で、さゆみが店に立てば不思議と客が集まり、投資を回収するまでには至らないが、店はそこそこの業績をあげるようになっていった。

 そんなときのことだ。さゆみの胸に乳がんが見つかった。病院には縁遠い女だったが、「胸にしこりがあるのを妙に思い、検査を受けてみたのだ」と言う。

「でもね、岡ちゃん、私は大丈夫。こんなのに負けないからね。絶対に治してやるんだから」

 さゆみは気丈に笑ったが、医者から病状を聞いた勢事は、転移の状態から、もはや助からないことを悟った。さゆみの言う奇跡を信じてあげられない、医学の知識を持った自分を恨んだ。

 ただ、さゆみの望みは、なんでも叶えた。別の医師の診断が欲しいと言われるたびに、知り合いの医者に頼んで連れて行った。さゆみが「ガンが治る健康食品がある」と言えば、言われるままに買い与えたし、さゆみが熱中する自然医学が眉唾物だとわかっていても、そのことは告げずにクリニックへの送り迎えの運転手役さえ務めた。

 しかし、病魔は着実にさゆみの体を蝕んでいった。別れの時が来たのは、さゆみが闘病に入ってから、ちょうど2年が経った頃だった。

 その日、勢事は仕事を途中で抜けて、さゆみが入院している病院に立ち寄った。そのときのさゆみは、食事もかなり細くなり、体重が激減していた。

「ねえ、岡ちゃん、足が痛い。お願い」

 勢事は肉の張りを失ったさゆみの膝を、静かにさすった。さゆみは目を閉じて、じっと黙っている。勢事が「眠ったのかな」と思ったその時だった。

「気分が悪いから、看護師さん呼んで」

 さゆみがか細いながらも、緊迫した口調でそう言った。

「おい、さゆみ大丈夫か。さゆみ、さゆみ」

 さゆみは低く呻くと、目を見開いた。勢事は慌ててさゆみの体を抱き抱えた。拍子抜けするくらいに軽かった。あごを持って、なんとか視線を合わせようとする。

「さゆみ、俺が見えてるか」

 そのときだ。眼球が右に左に、まるで機械仕掛けのように動いた。瞬間、勢事は「ああ、脳幹をやられた。これで終わった」と思った。

 看護師が来たときには、もうできる処置はなかった。

「さゆみ、なにも俺と2人きりのときに、逝かんでもいいやろう」

 さゆみの死は覚悟していたが、まさか自分が、このような形で看取ることになるとは思ってもみなかった。さゆみは勢事の腕の中で死んだ。自らの人生を勢事に刻印するように。あるいはもはや自分はこの世に存在してないという事実を、勢事に体感させるように。

 このとき勢事は、自分自身のある部分が、大きく損なわれたことを悟った。それはまるで、体の一部、たとえば片足を失うような、取り返しのつかない、不可逆的な損失だった。

「私が死んだらね、岡ちゃん。次の女の人は苦労すると思う」
「なんで?」
「だって私、強烈だから」

 さゆみの声が蘇る。ああ、確かにその通りだ。ただ、苦労しているのは次の女じゃなくて、強烈なおまえを忘れられない俺自身だ。勢事は自分の中に残っていた未練という感情に困惑していた。

 可能な限り、人に頼らないように生きてきた。依存しないように気を付けてきた。ビジネスの世界ではもちろん、それは女に対しても同じで、勢事は慎重に、他者と絶妙な距離をとるように工夫してきた。人間関係の理想形を実現するために、孤独を恐れず、孤独に身を慣らし、孤独とともにあれる精神を鍛え上げてきた。そのつもりだった。

 しかし、さゆみは、勢事のつくった結界の中にいるかのごとく擬態しながら、実は軽々とそれを破っていたのである。あるいは外にあると見せかけながら、勢事の内側に絶対の棲み家をつくっていたのである。

 自分がこんなに悲しむはずがない。そう頭でいくら考えても、体の反応は制御できなかった。

 さゆみの死から2カ月後、1人で銀座中央通りを運転していたときのことである。カーラジオから、その前年に流行した曲が流れてきた。男性シンガーによるレゲエ調のバラードで、「アイラブユー」を連呼する凡庸な歌詞を勢事は幼稚だと笑ったが、「そこがいいのよ」とさゆみは携帯電話の着信音にしていた。

 メロディーが耳に入ってきた途端、いきなり視界がぼやけたので、「いったい何が起こったのか」と勢事は混乱した。自分が泣いていることに気づかなかったのだ。

 とても運転を続けられる状態じゃなかった。クラクションを鳴らされながらも車を左に寄せて停めた。嗚咽するわけではない。蛇口を捻ったように、後から後から涙が流れた。

 それが自然と止まるまで、何分かかったのだろうか。勢事はシートに身を預けて、にじむ銀座の街をぼんやりと眺めていた。もはや、さゆみのことさえも考えられなかった。勢事は生まれて初めて、頭が真っ白になる、という状態を経験した。それは生きるために、自らの気をまるで昆虫の触覚のように張り巡らし、収集した情報を常に分析するということが習い性になっていた勢事にとって、恐怖以外の何物でもない身体感覚だった。怖いのに、それでもやはり、何も考えられなかった。

「俺はこのまま、本当にダメになってしまうのではないか」

 涙が止まると、今度は大きな不安の波に心を支配された。

「岡倉、女はな、3人は必要なんだ。じゃないと、1人を失ったときのダメージが大きい。それで仕事に支障をきたすなんてことは、リーダーとしてあってはならないことだ。悪いことは言わんから、さゆみちゃんと少々揉めることはあるにしても、女は3人にしておけ」

 さゆみだけとしか付き合っていないことを知った有力者から、本気で言われた助言である。「確かにあの人の言った通りだった」と思っても、今からではどうしようもなかった。

 大切な人を失って気力を喪い、それに共感してくれない世の中に拗ね、自暴自棄に堕ちていく人に、これまでの勢事は共感できなかった。

 しかし、今ならばわかる。生きること自体、基本的にはつらいことなのだ。どうしても耐えられないならば、死ぬしかない。死なないのならば、そんな世の中を、折れず、曲がらず、腐らず、拗ねず、生きていくしかないのだ。大事なのは、とにかく負けないこと。負けてしまわないことだ。

 自分の辛さをわかってくれるのは、自分だけ。人に慰めてほしいなどと思う時は、そんなくだらない自分は無視して、スルーして、やり過ごすしかない。やり過ごして、やるべきことをやるしかない。
 勢事がそう悟って、“渡世人”としての感覚を取り戻すまでには、実に1年もの月日が必要だった。

(つづく)

(23)
(25)

関連キーワード

関連記事