2024年05月06日( 月 )

経済小説「泥に咲く」(25)パートナーシップ

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 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

パートナーシップ

 徳山ホスピタルの再生計画は順調に進んでいた。高岡はもちまえの人を魅了する能力で、周辺の病院やクリニックとの良好な関係を築いていった。プライドの高い開業医たちの懐に飛び込むのは、高岡にとってそれほど難しいことではなかった。トップの謙虚な姿勢に、地域の医師からの徳山ホスピタルへの信頼は日増しにあがっていき、患者の紹介はうなぎのぼりに増えた。

 新規の患者が増えるとなると、すでに入院している患者の「退院を促せる体制づくり」が必要になる。「病んでいる人を治したい。助けたい」というのは、真っ当な医療人ならば誰もが抱く感覚だ。高岡は竹島と協力して、スタッフの医療人としての願望と誇りを思い出してもらう研修を実施し、意識を変えていった。

 本気で治療にあたってくれるとなれば、地域の評判が上がらないわけがない。「あの病院は治してくれる」「先生も看護師さんも、自分の家族のように、一緒に考えて、接してくれる」と口コミが広がり、さらに新規患者が増える。徳山ホスピタルには理想的な好循環が生まれた。

 もちろん、勢事はそれを、指を咥えて見ていたわけではない。最も恐れたのは高岡の増長だ。高岡はエースであり、スターである。しかも、容姿に恵まれ、安定した家族があり、自由になる金がある。医者という社会的な“身分”をもち、ここに「瀕死の病院を再生させた経営者」という肩書きが加わるのである。天狗にならないほうがおかしい。

 しかし、高岡が高慢になったとき、スタッフの一体感は薄れ、現在のプラススパイラルがいとも簡単に崩れ去ることを、勢事は知っていた。だから勢事は「友達」を限定したSNSに、高岡へのメッセージを送り続けた。体裁はつぶやきであり、独白の投稿である。しかし、高岡が見れば、それが自分に対する忠告であり、打ち込まれる釘であることははっきりとわかる、というやり方だ。

 これはどうやって高岡をいじめ抜くかを、勢事なりに考え抜いた結果だった。いじめて、いじめて、いじめ抜かないと、高岡のような強者を抑えるのは難しい。抑えると言っても、なにも支配しようというのではない。勢事に刃を向けなければいいのだ。能力のある人間は、必ず支配するほうに回ろうとする。高岡も例外ではない、と勢事は見抜いていた。

「君がどういう欠落をした男なのか」
「君に人がついてこない理由はこうだ」
「君の弱点はここだ」

 表現を変え、ロジックを変え、プロットを変えて、しかし同じことを毎日、毎日、投稿していく。朝の4時にはアップするから、高岡は目覚めるとともに、そのメッセージを見ることになる。もちろん無視するという選択もあるのだろうが、ビジネスパートナーが自分について書いている文章をないものとするほど、高岡は鷹揚ではない。

「岡倉さん、いい加減、あれやめてもらえませんか」
「あれってなんのこと?」

 わかっていて、とぼける。

「俺、最近、不眠症で、仕事中にめまいを起こしたんです。もう、本当にやめてください」
「それ、まさに医者の不養生じゃないか。高岡先生、自己管理もリーダーに不可欠な能力だから、まあ、せいぜい節制してください」

 高岡は大きなため息をついて、首を振る。

「俺ね、正直、岡倉さんが憎い。仲間だと思ってがんばってきたけど、最近は、岡倉さんこそが俺の敵じゃないかって思ってしまうんです」

 勢事は心のなかで「それでいい」と笑っている。これでようやく我々は対等なのだ、と。
「高岡、おまえは医者で、俺は医者じゃない。なんでこんなに重たい男を背負わなければならないんだと、そう思うだろう。でも、俺はこの医療法人の魂なんだ。魂が抜けたら、体なんてすぐにダメになってしまう。今のおまえにはわからないだろう。わからないだろうから、この戦いがあるんだ。苦しいだろうが、どうか耐えてくれ」

 毎日、高岡に対する厳しい言葉を書き連ねながら、勢事は心のなかで高岡の心の成長を本気で願っていた。

 勢事が高岡を、ここまで追い詰めることができるのには理由があった。高岡にしてみれば、徳山ホスピタルを捨てるという選択肢はある。医師であり、また経営者としての経験を積んだ高岡は、どこであれ、生きていける。自分が育てた病院への愛着はあるだろうが、それ以上に勢事が仕掛けてくるプレッシャーのほうが重いと感じれば、放り出せばいいのである。

 そのために、勢事はまず、「社員」を勢事と高岡の2人に限定した。医療法人の社員とは、一般の企業でいう取締役のような存在で、これを3人以上にしないことで、「どちらかの合意がなければ重要な事項は進めることができない体制」をつくったのだ。

 もう1つが公正証書である。

 徳山ホスピタルの経営状態が改善し、将来が見えてきたころのことだ。勢事は高岡をオフィスに呼び出して、公正証書に署名するように促した。

「高岡先生、俺たちは互いに、これから何があるかわからない。すぐに死ぬような病気はないけど、事故死もないわけじゃない。そんなときに、お互いの家族のために病院を役立てるという約束をしよう」
「どうやって?」
「今、病院の価値は六億円。それぞれ三億円ずつ権利を確定させる。つまり、俺に何かあったら、俺の権利を高岡先生が三億で買ってくれ。逆に先生に何かあったら、俺が三億で買う。これで家族の心配がない。そうだろ?」

「なるほど」

 勢事のロジックは決して嘘ではない。しかし、たとえば高岡が病院を辞めるとして、自分の持ち分は勢事にしか売れないという縛りができることになる。それは勢事も同じことなのだが、逃げるつもりのない勢事には痛くも痒くもない。逆に高岡にとっては重い枷になるし、さらに言えば、勢事が「抜ける」と言えば、すぐに3億を用意しなければならず、だから勢事を軽く扱うことができなくなる。

 いくら仲間だと肩を叩き合っても、いずれ状況が変われば、憎み合うことになるのが人間関係の基本なのだ。だからこそ、互いに喉元にナイフを置くような関係が必要だし、そうしてこそ関係は長続きするものだと勢事は考えていた。

 相手に銃口を向けると、自分にも照準が合わせられ、撃てば双方がちみどろになる関係性。相手との関係に傷を入れると自らも傷つく構図をいかにつくりあげるかが重要なのだ。この「触らぬ神に祟りなし」というシステムこそが、「誰にも牛耳られたくない」という勢事の意志を現実的に支えるシステムなのである。そして、牛耳られたくないという思いは、そのまま「誰にも依存しない」という、1人の男としての、勢事の志でもある。

 いずれにせよ、社員を2人に限定したことと公正証書、この2つの策によって、勢事は自分の医療法人に高岡を見事に緊縛したのである。そのうえでの心理的プレッシャーであった。結果から言えば、勢事が仕掛けた心理戦を、高岡は耐え抜いた。4年にもわたる長期戦であった。

 これまでも、これと見込んだ男には、勢事なりの“教育”を施そうとしてきた。しかし、誰もが心を病み、逃げ出していった。

「俺の攻撃に音をあげなかったのは、高岡が初めてだ」

 高岡への賛辞をSNSにアップし、この戦いを終えると決めた日、勢事はそう呟いて、1人、祝杯をあげたのだった。それは勢事だけではなく、高岡とともに成し遂げた「2人の勝利」であった。

(つづく)

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