2024年05月06日( 月 )

家事の伝承と「家」を考える(1)

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家事の伝承はどうする? photoAC
家事の伝承はどうする? photoAC

 かつて「家事のさしすせそ」という言葉があった。裁縫・しつけ・炊事・洗濯・掃除の頭文字を並べて家事の教えとしたものだ。家事の内容は時代や環境によって変わってきているが、炊事・洗濯・掃除は必要不可欠な生活の基本として、今も家事の中心に君臨し続けている。そんな家事にまつわる私たちの暮らしぶりを、少し紐解いてみたい。“家事”を観察することで、いかに今の生活が恵まれているのか、“家のこと”がよく見えてくるはずだ。

家事は嫌なことか

 家事は、「嫌なこと」と考えられがちだ。社会とのつながりから、家事労働時間の短縮やフェミニズムの観点から、シャドーワークとして語られることが多いからだろうか。いかにして家庭内の労働(家事労働)を軽減させられるかは、今も昔も大きな関心事である。

アメリカの豊かさを見せつけた漫画 憧れのブロンディ 岩本茂樹
アメリカの豊かさを見せつけた漫画
憧れのブロンディ 岩本茂樹

    敗戦後、日本人が日本人であることに誇りをもてなくなったとき、建築家たちが模範としようとしたものは、戦勝国・アメリカの豊かな住宅だった。…緑豊かでゆったりとした芝生に囲まれた住宅には、夫婦と子ども2人の「平均的」家族が暮らす。マイカー出勤の夫を送り出した主婦は、電化製品に囲まれた快適な台所で家事に勤しむ。1949~51年まで朝日新聞に掲載された漫画「ブロンディ」は、日本人にそんなアメリカの豊かさを見せつけた。トースター、ミキサー、洗濯機、食洗器、テレビ―日本人にとって見たこともないそれらの器具は、憧れを通り越して異星人の世界にさえ見えた。

 日本の男たちは昔から、家より組織(=仕事)を大事にする傾向がある(社会がそうつくられてもいた)。夫と妻が一緒になって家をつくろうというときに、日本の男たちは敵前逃亡して家から逃れ、仕事へ行ってしまった。つまり日本男児は仕事=会社人間になって、「俺は仕事に生きる。育児や教育、家づくりはお前に任せた」と言って、妻を家へ残して出ていってしまったのだ。

 戦後のお父さんたちは、月に3日も家で飯を食うと課長にはなれないと本気で信じていた。家族を放り出しても、会社が行けといえば単身赴任をし、最前線の営業ともなれば自分から身を粉にして働く。そして、それが普通であるという異常な会社社会をつくり上げてしまった。欧米の個人主義の人たちには決して理解されないだろう、「日本的家族主義経営」だ。

戦後は「女の家」になった

 戦前は「男の家」だったものが、戦後は「女の家」になった。その最大の理由は、日本人は自分の家を自分で建てなければならなくなったこと。そしてそれを担当することを男が放棄し、女に押し付けてしまったのだ。

戦前は「男の家」だった イメージ写真:三坑社宅(大正・昭和期頃)
戦前は「男の家」だった
イメージ写真:三坑社宅(大正・昭和期頃)

    かつて日本人にとって、家は借りるものだった。1934年の調査によれば、大阪・堺で借家が90%、名古屋が80.3%、東京の大田区といった郊外辺りでも73%程度が借家だった。つまり戦前の都市の日本人は、家をもたないのが普通だったのだ。戦中の41年、不足する住宅を確保するための借地法が改正され、借りている人の権利を強くし、追い出されないようにした。その影響で安い借家は建設、維持できなくなってしまい、今度は個人につくらせようという“持ち家政策”と、それをやむなくさせた「傾斜生産方式」が戦後の日本の家のかたち、状況を決定的にした。狭い国土で、皆必死になって土地を探した。家を自分で建てなくてはいけないという刷り込みは、ほんの80年ほどの歴史しかないのだ。

 日本は、国が責任をもって住宅供給することを放棄してしまう。それでも家は建てなくてはいけない。すべて個々人の仕事になるわけだ。土地を探すこと、土地の資金、家の建設資金を考えること、どういう家が良いのか国の指針がないから、間取りを考えることや施工者を探すこと、どういう仕上げにするか考えることを、誰もが40歳くらいになるとやらなければならないと思い込むようになっていった。

 ちょうどそのころから核家族化が始まり、おじいさん・おばあさんも家からいなくなった。昔なら上の世代が順に下の世代に家のことを教え、仕込むのが日常だった。家のつくりというもの、その常識、大工の選び方、間取りから始まって、ご飯の炊き方、料理、掃除、雑巾の掛け方、障子にはたきをかけるやり方に至るまで…。教えてもらえるはずの頼みの綱の年配者は、遠くから見守ることになる。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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