2024年04月29日( 月 )

家事の伝承と「家」を考える(2)

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 かつて「家事のさしすせそ」という言葉があった。裁縫・しつけ・炊事・洗濯・掃除の頭文字を並べて家事の教えとしたものだ。家事の内容は時代や環境によって変わってきているが、炊事・洗濯・掃除は必要不可欠な生活の基本として、今も家事の中心に君臨し続けている。そんな家事にまつわる私たちの暮らしぶりを、少し紐解いてみたい。“家事”を観察することで、いかに今の生活が恵まれているのか、“家のこと”がよく見えてくるはずだ。

“家事”が決める家の重心

 建築設計とは、部屋の数をそろえ、柱を立て、屋根を載せ、どういう仕上げをするかを決定することだとしか思っていない人が多い。だから「家を設計してくれ」という相談に、「どういう生活をしているのか」「どんな生き方をしたいと思っているのか」などと質問すると、「なぜそんなことを聞くのか」と逆に質問されてしまうことになる。家を設計するには、中身の生活を知らなければならない。生活とは何かを知ろうと思うと、人間はどう生きているかということに当然思いが至り、その背景である歴史や風土、文化、社会に興味が湧いてくる。その思想をかたちに変換させていく、それが設計者というものだ。

 家という容器を考えるときは、まずそのなかに入る暮らしぶりがどういう生活かを考える。容器によって中身が決まるわけではないから、今の生活をよく考え、それに合う家や建物を、どうつくればいいか考えなければいけないはずだ。とりわけ「家事のさしすせそ」が家の重心を決めると言っても、言い過ぎではないだろう。

家事のさしすせそ 写真引用:欲しかった暮らしラボHPより
家事のさしすせそ
写真引用:欲しかった暮らしラボHPより

    家事のなかでも部屋の片づけや掃除は毎日やらなくても支障ないが、食事の支度はそうはいかない。献立を考え、段取りを考え、家族の健康を考えて日に三度、調理場に向かわなければならない炊事は、常に高い関心事として捉えられる。今では家のなかでも快適で機能的な場所に配置されている炊事環境だが、電気・ガス・水道といったインフラが整備される近代以前の炊事は、火起こし、薪や炭の微妙な火力調整、水汲みなど、今からは想像もできないほど大変なものだった。

“台所”は「女性の城」?

 台所はかつて「女性の城」といわれていた。かまどに火を入れて、煤(すす)だらけになって、つきっきりでご飯を炊き、全身に煙を浴びながら七輪で魚を焼いた。そんな北風が吹き込む台所は、女性にとって本当に「城」だっただろうか。そんなはずはない。「お前にも居場所があるのだよ」と女性が素直に家事に勤しむように、おだてていった男の下心が垣間見える。あるいは台所しか自由にならなかった女性が、吐息混じりに吐いた“あきらめの言葉”だったのか。

 江戸から明治に移行しても、電気・ガス・水道が整備される以前の庶民の生活は、しばらく江戸時代と変わらない生活が続いた。主食のご飯は薪を燃料にかまどで炊き、副食は炭を燃料とする七輪でつくった。現在のようにスイッチ1つで火が付くわけではなく、まず火起こしから始めなければならない。火打石で着火して火吹き竹を使って火を起こす。湿った薪など使おうものなら、煙がもうもうと充満するばかりでいっこうに火は起きない。調理中の火力調整とともに、何よりも技術と経験が必要とされる仕事だった。

炊事は重労働だった イメージ写真:三坑社宅(大正・昭和期頃)
炊事は重労働だった
イメージ写真:三坑社宅(大正・昭和期頃)

 水も裏庭や路地の井戸から、何往復もして汲んでこなければならない。水は台所に置かれている水瓶に貯め、その都度柄杓で汲んで使う。水瓶に貯めておくのは、井戸水に混じるゴミや砂などを沈殿させるためでもあった。

 加えて台所仕事は立ったり座ったりの連続。当時の一般的な台所は、土間と板の間の部分に分かれていた。土間にはかまどや流しが置かれ、そこではしゃがんで作業する。板の間では、包丁を使うなどの調理を座ってする。両者間の往復は、立ったり座ったりの繰り返しで、しかも段差がある。こうした立ち振る舞い、座式作業の不便さはその後、台所改善の対象に真っ先に挙げられることになる。

文明生活のシンボル・瓦斯

文明生活のシンボル・瓦斯 イメージ写真:ガス灯 photoAC
文明生活のシンボル・瓦斯
イメージ写真:ガス灯 photoAC

    ガス(瓦斯)の利用は、まず照明用としてスタートし、その用途を熱源に広げていった。台所のガス化は、文明的・進歩的なものとして世に喧伝されていく。

 1872(明治5)年、横浜で日本初のガス灯が灯され、その2年後には東京銀座の煉瓦街にも登場。夜の街を美しく照らし出すガス灯の炎は、まさに文明開化の象徴そのものだった。ガス灯に遅れて開発された電灯は、87(明治20)年に東京で公式供給が開始され、以後、ガス灯と電灯はしのぎを削ることになる。その後、“台所の初めてのインフラ”として、ガスが家庭内に導入され始める。1923(大正12)年の関東大震災によって、薪や炭火よりもガスのほうが火災を起こす危険性が小さいと考えられ、台所の熱源が徐々にそちら側へ移行していく。

 ガスの整備に続き、近代水道の整備が開始された。蛇口から水が出る生活は、水汲みという重労働から主婦を解放することになる。日本で初めて近代水道がつくられたのは1887年、横浜においてであった。その後、函館、長崎、大阪に敷設され、東京では98(明治31)年に淀橋浄水場が完成し、翌年から給水を開始している。福岡市の上水道は、1923(大正12)年に平尾浄水場や曲渕ダムが完成して給水を始めたことからスタートしており、2023年でちょうど100年の月日が経っている。

 欧米の住宅や台所の器具が紹介されるに従って、日本の生活の旧弊を改めるべき改良論が叫ばれるようになっていった。その矛先が「台所」。従来の、北向きの暗くてジメジメした台所を改良し、「明るく衛生的な、かつ便利で経済的な設備を整えたものにすべきである」。まず「衛生的」が、当時の台所改良のキーワードだったのだ。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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