【特集】福間病院──精神科医療の先駆けだった病院に何が起きているのか(6)
人事騒動の深層──伊藤元事務局長解任劇
シリーズ(3)では、改革を推進していた伊藤陽祐・元事務局長が昨年10月に退職した経緯について、賃料問題をきっかけに佐々木家の権益に踏み込んだことから、事実上の解任に追い込まれたと指摘した。今回は、この解任をめぐる争いの詳細を検証する。
医師・看護部から相次ぐ危機感の表明
2024年10月、福間病院の伊藤陽祐事務局長が突然の異動を命じられたことに端を発した人事問題が、病院経営体制そのものへの疑念を生じさせ、大きな騒動に発展している。
問題の発端は、佐々木好子専務理事が伊藤氏に対して11月1日付で事務局長兼事務長の職を解き、病院運営の中心から外れた福間看護高等専修学校への異動を命じたことにある。この異動について職員らは、「伊藤氏が病院の経営合理化や佐々木家に関わる賃料問題などについて改革を推進したことへの報復措置」と捉えている。伊藤氏はこの命令を拒否したが、11月7日の理事会で辞職勧告が決議され、同月末までに辞職届を提出すること、また、それまでの間は自宅待機による出勤停止措置が取られることが決定された。
病院職員の間からは、「今回の人事は、伊藤常務理事が高齢の母である佐々木専務理事の影響力を背景に進めた恣意(しい)的な決定だ」との指摘が出ている。さらに、「事務局長の実績や人望を無視して一方的に進められた」「佐々木家の意向が最優先されているように感じる」といった具体的な不満の声もあり、職員間に広がる動揺が明らかになっている。
こうした事態を受け、福間病院の医師一同は10月22日付で理事会に要望書を提出した。医師らは病院の重要な人事が常務理事の意向により恣意的に決定されていることを問題視し、異動辞令の出された直後の10月8日と15日の2度にわたり協議を実施。その結果、伊藤陽祐元事務局長および次長の処遇に関する要望を理事会に提出することを決議した。次長については一時的に契約期間を待たずに退職を求められたが、後にこの措置は撤回されている。
要望書では、伊藤氏が病床稼働率の向上や医師の待遇改善を積極的に進め、現場スタッフから厚い信頼を得ていたことを強調。「病棟が多忙な際には自らシーツ交換や食事提供を手伝い、現場との連携を大切にしていた」と伊藤氏の人柄を高く評価している。次長についても、具体的な収益改善策を進め現場の支持を得ていたと記している。
医師らはさらに、「今回の人事は実績を無視したもので、組織に混乱を招き、職員間の信頼関係を損なう恐れがある」と指摘。「このような恣意的な人事がまかり通れば、職員は疑心暗鬼に陥り、診療活動そのものにも悪影響をおよぼしかねない」と強い懸念を表明した。
要望書では「恣意的な人事への反対」「問題が発生した場合は組織ガバナンスに則って判断すること」「今回の人事に関する規約および定款を開示し、公正なガバナンスが遵守されていることを証明すること」を強く求めている。最後に、「福間病院が地域の精神科医療を担う病院として存続していくためにも、経営陣には健全な運営を考えてほしい」と結んでいる。
同日付で看護部も要望書を提出し、今回の人事異動が組織管理体制に基づいた決定でないことへの強い不安と困惑を表明。「組織運営に関わる重要な人事は透明かつ公正に運営会議などで討議すべき」と訴え、「個別通知による人事決定は組織に混乱をもたらす」として、看護部長を経由した通知や詳細な説明を求めている。
看護部はさらに、看護師不足と過重労働がとくに深刻で、現場が疲弊していることを強調。現場の意見が十分に反映されていないこと、病室環境の著しい悪化、業績評価基準の不明確さなどを具体的な課題として指摘した。そのうえで職員の待遇改善、人員配置の透明性確保、労働環境の早急な改善を求めている。
医師一同や看護部の要望書から浮かび上がるのは、今回の人事が現場の声を無視したものであるという事実である。そもそも、なぜ伊藤陽祐氏の辞職が求められたのか、その真意が改めて問われている。
組織を無視した恣意的人事の衝撃
伊藤陽祐氏の退職をめぐる問題は、専務理事が配置転換を命じたことを伊藤氏が拒否したことに加え、同氏が組織体制、とりわけ専務理事や常務理事を繰り返し批判したことが主因とされている。
理事会では西村理事長が強く反対したものの、多数決で辞職勧告と自宅待機措置が決定された。伊藤氏が過去に会議の場で「今後を考えると専務理事と常務理事の権限を制限することが望ましい」と発言したのに対し、専務理事が「再び同様の発言をした場合は辞職してもらう」と厳しく注意していたとされる。専務理事側は、伊藤氏が兼ねてから専務理事と常務理事の排除を示唆するような発言を繰り返していたと主張している。しかし一方で、「佐々木家に権力が集中しているため、理事長や院長にもう少し裁量権を譲るべきだと言っただけで、権限を剥奪するとは発言していない」との指摘もある。職員らの証言を基にすると、伊藤氏の発言が常務理事を通じて専務理事へ伝えられる際の正確性に疑問が生じている。
この問題を単なる経営権をめぐる一族内の争いとして片付けることも可能だろう。しかし、専務理事が単独で人事決定を下したことの不透明さは明らかである。福間病院の実情として、医療部門の人事権は理事長が握り、事務部門の人事権は佐々木家が握っているとされるが、公式な組織図と実際の意思決定プロセスが乖離(かいり)していることに職員は戸惑いを隠せない。
職員にとって、理事長の意見も聞かずに重要な人事が決定される現状は恐怖を感じざるを得ない。事務部門では専務理事や常務理事から一方的な指示が出されるリスクが高く、医療部門の人事権が理事長にあるという説明も実際には形骸化しているという疑念が拭えない。職員、とりわけ人事担当者にとっては、納得のいかないまま強行される人事による苦悩が続いていることは想像に難くない。
追い詰められた人事担当者、離職の決断
伊藤陽祐氏に対する辞職勧告と自宅待機命令が下されたことはすでに述べたが、この命令を遂行する過程で、人事担当者は理不尽な要求を繰り返し受けることになった。
まず、伊藤氏には11月末までの辞職届の提出が求められたものの、辞職届が提出されなかった場合の明確な方針は示されなかった。当初は会社都合による退職とされていたが、その後、自己都合退職へと変更された。しかし、伊藤氏に退職の意思がない以上、本来なら解雇通知を出し、正式に解雇する以外に方法はないはずである。それにもかかわらず、医師や職員からの反発を恐れたためか、あくまで体裁を整えつつ伊藤氏を追い出そうとしたとしか見えなかった。人事担当者が「離職票には本人の意思を確認する欄があるため、自己都合退職でよいか本人に確認すべき」と主張したのは当然のことだ。
また、健康保険証の扱いについても指示が二転三転し、現場の混乱を深めた。最終的に退職は取り消されたとの通知を受けたが、人事担当者はこれまでの心労が重なり、精神的に限界に達した。この問題を契機として人事担当者は「上司から不正な手続きを強要された」とハラスメント委員会に報告し、福間病院を去ることを決意した。体調不良に加え、正当な手続きを無視する組織への不信感が募ったことが、退職の決断を後押しした。
これらの事例からも、福間病院における組織ガバナンスの機能不全が鮮明になっている。公式の組織図や規則は実質的に形骸化し、佐々木家の意向が最優先される状況が明らかだ。その意向を通すために職員に理不尽な要求を課すことも辞さないのが実情だ。
取材を進めるなかで、「佐々木商店」という自嘲的な表現を耳にすることが頻繁にあった。これは、個人商店のように意思決定が閉鎖的かつ個人的に行われている現状を揶揄したものだが、病院の組織運営が個人商店時代から脱却できていないことが根本的な問題だろう。
この騒動を契機として労働組合結成の動きも始まった。サービス残業の常態化や互助会への強制加入など、時代錯誤の理不尽な雇用慣行を改める動きが生まれるのは当然の流れだ。
なお、伊藤陽祐氏の退職(解任)問題はいまだ解決に至っておらず、伊藤氏は徹底抗戦の姿勢を示しているという。
(つづく)
【特別取材班】