【特集】福間病院──精神科医療の先駆けだった病院に何が起きているのか(3)

オーナー支配とガバナンス崩壊の現場

 前回は理事会と評議会の関係性に基づく歪な統治構造を検証したが、今回はさらに視点を現場へと移し、経営の実態を詳しく見ていく。

常務理事の「鶴の一声」

 理事会や評議会が直接現場を動かすわけではないため、現場の諸課題を解決する司令塔的な組織が必要となる。それが「運営会議」である。

 運営会議は理事長、専務理事、常務理事、院長ら理事会の主要メンバーに、各部長、副部長、学校長らを加えた横断的組織であり、「最高決定会議」と位置づけられる。恵愛会の組織図でも理事会に次ぐ重要な位置にあり、通常業務に関する意思決定機関として機能している。また、運営会議とは別に病院経営会議(旧・経営企画会議)も設置されており、これら2つの会議体を中心に施設の老朽化や患者対応といった現場の課題が議論される。

 現場職員にとっては日常業務で生じる諸問題が切実であり、これらの会議は本来、真剣な議論が交わされる場であるはずだ。しかし実際には徒労に終わるケースが少なくない。病院職員はその理由を「運営会議などで時間をかけて合意形成した決定事項が、伊藤雅子常務理事の『鶴の一声』で覆されてしまうからだ」と嘆く。

 その典型例が病床削減問題である。運営会議では老朽化が激しく経済的にも非効率な50床の病棟(B棟)の休止を決定し、病床数を500床から450床へ削減することが合意され、行政へ届け出することも確認された。これは病院経営の健全化を目指す合理的判断だったが、伊藤常務理事は「創業者がつくったものだから変えたくない」という個人的感情から、担当者に届け出を止めるよう指示し、決定を覆してしまったそうだ。

 また、「膨大なアナログ事務処理を改善するために財務室長が提案し、理事会でも承認されたインターネットバンキングの導入も、稼働からわずか2カ月後、常務理事の一存で突然中止された」との職員の証言もあった。当時の財務室長はすでに退職しており、後任担当者が再導入したが、これは理事会の正式決定が常務理事個人の意向で覆された典型例である。

 さらに別の職員らからは「児童思春期病棟の建設計画についても、建設会社と約1年半かけて設計を進めたが、伊藤常務理事の一声で突然中止された」との話も聞かれた。理由は「資金不足」だったが、職員は「それなら初めから設計を進めさせるべきではない」と憤りを隠さない。

 人事は経営の要諦といわれるが、その人事においても決定事項を覆すことはたびたびあったようだ。伊藤常務理事は、自ら出席していた会議でスタッフ採用を促進する決議をした場合でも、看護部長には「看護スタッフを雇ってよい」と言いながら、人事担当者には会議外で「雇ってはいけない」と逆の指示を出す。結果として組織は混乱し、会議の決定が無意味となる事態が頻発した。

 また、高齢の副院長が週2日、午後2時間のみの勤務で高額な年収を得ていたことについても、経営状況を考慮し退職を促す結論が会議で出され、理事長が本人に伝えたにもかかわらず、伊藤常務理事が「私の大切な人だから」という個人的な理由で雇用継続を決定したという。このような事例は、取材を重ねるなかで枚挙にいとまがなく、福間病院の経営体制に深刻な問題があることを浮き彫りにしている。

不透明な資金使途と崩れたガバナンス

 朝令暮改で決定事項が簡単に覆される──こうした光景は中小企業のワンマン経営では珍しくない。だが、恵愛会は約500人の職員を抱える医療法人であり、常務理事は理事長・専務理事に次ぐ序列で、組織のトップではない。組織図にもそのように明記されている。にもかかわらず、この立場を超えた権限行使がまかり通る背景には、常務理事がオーナー一族に属しているという特権的立場があると推察される。

 問題は、こうした独断専行にとどまらない。常務理事による資金の使途にも、不透明な点が多く指摘されている。

 その象徴的な事例が、タクシー代の問題である。複数の職員が「常務理事のタクシーチケット利用額は年間1,000万円を超える」と証言しており、月に100万円以上に達することも珍しくないという。仮に月額100万円とすれば、毎日出勤したとしても1日当たり約3万3,000円となる高額だ。

 常務理事は福岡市内に居住しているが、それを考慮しても、この金額は過剰といえる。さらに、実際の出勤頻度は週2日ほどで、月に8~10日程度にすぎないとされる。その場合、1日当たりのタクシー代は10万円を超え、常識的な範囲を大きく逸脱している。職員の間では、「私的利用があるのではないか」「第三者が使っているのではないか」との疑念が広がっており、「常務理事はタクシーを個人専用の運転手のように使っている」との批判も出ている。

 加えて、常務理事の自宅に関する経費についても疑惑がもたれている。関係者によると、「常務理事の自宅はサンシヤイン(現・緑風会)の社宅として扱われており、その清掃費や家事代行費を恵愛会が負担している」とのことだ。これらの費用は年間600万円前後にのぼるとされる。

 さらに驚くべき証言もある。「法人契約に基づく入院給付金200万円が、当初は恵愛会の口座に振り込まれる予定だったが、常務理事が勝手に個人口座への振込先を変更し、不正に着服した」というのだ。どのような経緯で振込口座の変更が行われたのかは不明だが、ほかの理事らの同意がないとすれば問題だろう。

 この他にも、不適切な資金流用や私的経費の法人負担とみられる事例が複数存在するとされている。これら一連の証言から明らかなのは、常務理事による恣意的な経営体制と、それを許容するほどに脆弱なガバナンスの実態である。チェック機能の欠如は、法人全体の信頼をも揺るがしかねない深刻な問題といえる。

改革者でも踏み越えられない一線

 赤字が続けば、病院の存続は危うくなる。この危機的状況を受け、改革の責任者として招聘されたのが元局長・伊藤陽祐氏である。陽祐氏は、常務理事・伊藤雅子氏の夫にあたる人物であり、当初は事務局長として就任したものの、後に解任されたため、本稿では「元局長」と記す。

 伊藤陽祐氏は2021年6月、外部で培った豊富な経験を生かすかたちで病院に迎え入れられた。当初は、看護学校設立のための基金管理を担当する予定だったが、職員の相次ぐ離職問題を受けて、急遽、病院改革を担う局長として抜擢された。

 現場の職員らは、「局長のリーダーシップにより職員が一丸となり、病床稼働率を上げることができた」と振り返る。収益改善にともない、賞与への期待も高まったが、実際には賞与水準は据え置かれ、不満が蓄積した。病院の収益が改善しても、その大部分が地代家賃として吸い上げられる構造のままでは、賃金に反映される余地がないのが実情である。

 職員からは「福間病院の給与水準は周辺病院と比べて低く、長年にわたり改善されていない」との声が上がる。とくに、職員の子どもが中学・高校に進学する時期には教育費の負担が増し、低い給与や賞与のままでは生活が立ち行かず、経済的理由で離職するケースも少なくない。人材確保が困難ななか、ようやく育った中堅スタッフの離職は、病院経営にとって深刻な打撃となる。

 取材を通じて強く印象に残ったのは、現場に漂う一種の諦観である。常務理事による朝令暮改や強権的な振る舞いに対し、「もう仕方がない」とあきらめにも似た姿勢も垣間見えた。一方で、現場を理解しないまま下される不合理な判断には、大きな不満が燻っている。個人的なわがままには我慢できても、医療専門職としての職業倫理に反する行為、すなわち患者や病院のための改善策が理不尽な理由で阻害される状況には、強い抵抗感があるようだ。

 ある職員は、「前に進もうとすると、直後にタックルしてくる」と表現した。この言葉は、職員が抱えるストレスや徒労感を的確に言い表している。

 そのような状況のなかでも、職員たちは病院の立て直しに向けて懸命に努力を重ねてきた。その中心的存在であった伊藤陽祐氏が、24年11月に突然退職した。事実上の解任であり、職員に与えた衝撃は大きかったという。

 同氏は、病院経営再建の最大の障壁として、緑風会に支払っている高額な地代家賃を指摘していた。これを見直し、佐々木家の資産を病院の財政基盤として活用することで、構造的な経営改善を図ろうとしていた。しかし、佐々木家はこれを容認しなかったとされる。佐々木専務理事、伊藤常務理事と伊藤陽祐氏の対立は先鋭化し、それが陽祐氏の解任へと繋がっていったようだ。

 この一件は、13年前に起きたある出来事を想起させる。当時、理事長兼院長だった裕光氏とその家族は、佐々木家の権益に踏み込んだことで追放された。たとえ一族であっても、利害に触れる者は排除する――そんな“掟”が、再び発動されたのである。

(つづく)

【特別取材班】

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