自民党総裁選が22日告示された。小泉進次郎氏や高市早苗氏ら5人が立候補し、10月4日の投開票日まで論戦が繰り広げられる。今回の総裁選は石破茂首相の辞任表明にともなうものだが、当初石破首相はなかなか辞任しようとしなかった。党内外の辞任圧力が強まり、辞任に追い込まれたが、近年、議員や首長の座にしがみつく者が少なくない。
橋本・麻生両氏と石破首相の違い
一般の感覚では、不祥事や選挙結果を受けてその責任者が辞めるのは当然であり、居座り続けるのはもってのほかである。それが責任の取り方であろう。理由にならない理由を並べ立てて地位にしがみつく姿は、醜く映る。以前紹介した福岡県宮若市長の職員へのハラスメント露見後の居座りなどは、まさにそれといってよい。
記者が政治家の辞任を見たのは、記憶する限りでは1998年の橋本龍太郎首相の辞任であった。このとき、参院選で自民党は60前後の議席を確保するとみられていた。ところが結果は44議席にとどまった。大敗である。参議院での与野党逆転を受け、橋本氏は投開票日翌日に退陣を表明した。
いまだ自民党内で隠然たる力を誇示する麻生太郎氏も、2009年の衆院選で歴史的大敗の責任を取って首相を辞任した。そこから民主党政権につながったことは、ご承知の通りである。
今回の石破首相とはまるで違う。参院選は政権選択に直結しないというのが定説だが、昨年10月の衆院選で少数与党になっており、東京都議選を合わせて3回連続の敗北は、さすがにごまかしきれなかった。
自民党が少数与党に転落したのは、いわゆる裏金問題などへの国民の反発が大きい。自民党派閥が政治資金の調達をめぐって「裏金」をつくってきたという慣例は、国民に衝撃を与えた。しかし、自民党はもちろん野党も含めて関係者の「説明責任」を強調してきたことに、国民は違和感をもった。裏金づくりは、政治資金規正法という法律に違反した犯罪行為である。法的責任が議員本人におよばず、会計責任者の責任にとどまるとしても、議員が知らなかったでは済まされない。
国政の政治家と首長はその役割・権限が異なるため同一に論じられないが、国会議員・地方議員を見渡すと世襲議員が目立つ。しかも政治家としての能力が高いとは思えない。手っ取り早く「家業」として政治家を継いだとしか思えない人もいる。福岡市議会を見ても自民党系の複数の会派で世襲が多い。地方議会はオール与党化しやすく、首長とつながって、市民のための政治よりも己の利権や保身を重視するようになる。
福岡県でも相次ぐオール与党の弊害
地方を見るとどうか。兵庫県の斎藤元彦知事が1つの例だろう。斎藤知事は昨年、内部告発文書問題をめぐり、当時の副知事から辞職を促され、県議会が不信任決議を全会一致で可決。失職して知事選に臨み、再選された。職員に対するパワハラ問題などを調べる県議会百条委員会の委員を務めた前県議が自殺したが、ネット上の誹謗中傷があった。ところが斎藤氏はそのことについて踏み込まず、一般論として「誹謗中傷は控えてほしい」というのみであった。県政の混乱の責任は大きいが、そのことを自覚しているのか。
福岡県も他人事ではない。先の知事選で「ワンヘルス」が争点となったが、現在、県議会議長を務める蔵内勇夫県議が日本獣医師会会長として推進してきたものである。元県議が逮捕されたケア・トランポリンの問題も、オール与党化した県議会との関係がなければ、行政がお墨付きを与え、市町村に売り込むことはできなかっただろう。
福岡県が6月、道路事業に必要な土地を地権者の男性から買収した際、当初は用地補償の適正価格は430万円と算定したにもかかわらず、最終的に約5倍の2,165万円で取得していた問題も、先日の県議会代表質問での答弁でも「忖度はなかった」(服部知事)としたものの、地権者の男性が所属する部落解放同盟が背景になければ行政が適正価格の5倍の価格で応じることはなかったのではないか。
こうしたことを考えていた折、自室の書棚にあった『偉い人ほどすぐ逃げる』(武田砂鉄著・文藝春秋)を久しぶりに開いて読んだ。そこに書かれていたことがまさに今の首長を含めた政治家の責任を取らない姿勢だろうと思った。
「国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置され、忘れ去られるようになった」
このなかでメディアの無責任ぶりも一章を割いて取り上げられている。耳の痛い指摘が述べられているが、根本にあるのは日本人が戦後80年間、責任を取らずにぬくぬく生きてきたことが大きいのではないだろうか。問題の先送りでごまかしてきたが、そういかなくなったのが今回の参院選の結果だ。しかし政治家のレベルは国民のレベルでもある。このことをまず自覚しなければならない。
【近藤将勝】