ブレイクスルー思考──今こそナドラーから学ぼう(後)システム・マトリクス

福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

 ナドラーは「タイタニック号はなぜ沈んだのか」という問いに対して、「レーダーや音波探知機がなかったからだ」と答えている。当時はレーダーも音波探知機もなかったのだから、彼の言っていることは時代状況を考慮しない馬鹿げたものと思える。

 周知のように、タイタニックは「不沈船」として設計された大型客船で、事故予防装置も当時として最高級だった。なのに、イギリスの港から遠く離れた北の海上で氷山とぶつかって沈んでしまい、多数の犠牲者を出した。

 のちの調査の結果、船の設計にはまったく問題がなかったことがわかった。事故の一番の原因は航行における「事前学習」の不足だったと言われている。

 航路に濃霧が発生すれば遠くが見えない。障害物が見えたときには手遅れで、衝突不可避となる。運航会社はタイタニックの威力を過信し、海流や水温や気象などの事前調査を怠ったのだ。

 「レーダーがなかったから事故が生まれた」というナドラーの言葉だが、「メタファー」と受けとったほうが良い。彼の日ごろの主張からすると、重要なのはテクノロジーではなく、いかに問題と取り組むかということになるからである。

 彼が「レーダー」ということで言いたかったのは、「氷山の一角」しか見えない肉眼に代わって、まだ見えない氷山全体を予見する能力が必要だということであろう。肉眼とレーダーの違いは、肉眼には「氷山の一角しか見えない」のに、レーダーにはその「一角」だけでなく「全体」が、肉眼よりも早く、しかも正確に見えるという違いである。この全体が見えることこそが、ナドラーにとって最も重要だったのである。

 「全体システムのイメージがないと、インダストリアル・エンジニアリングは成り立たない」というのが彼の持論である。彼のいうインダストリアル・エンジニアリングは、単なる「ものづくり」ではない。勉強の仕方、仕事の仕方、会社経営の仕方もそれに含まれる。そしてその基礎にあるのは、「何ごともシステムとして捉えるべきであって、それをしないといかなる問題も解決できない」という発想なのだ。

 システムとは何か? 複数の要素が互いに影響しあって1つの全体を構成し、その全体を運行させるものをいう。このシステムを基本にして考えると、ある問題を解決するには、その問題を単独で取り出すのではなく、その背後にあるシステムを見とることが必要だということになるのだ。

 ナドラーのいうブレイクスルーとは、まさにこの全体イメージの構築を意味する。システム思考とブレイクスルーは表裏一体なのだ。見えるものの背後に潜在するシステムを見通すこと、これがブレイクスルーなのである。

 「そんなことはレーダーがなければできない」と思う人もあろう。ナドラーなら、こう答えるにちがいない。「レーダーをあなたの頭のなかにつくりなさい。そのためには、マトリクス作成の練習が役立ちますよ」と。

 このマトリクスだが、エンジニアリングで用いられるマトリクスは一種の一覧表である。全体を構成するいくつもの要素を取り出して、それぞれの要素の特徴とはたらき、またほかの要素との関連を明記することで、システム全体が一目瞭然となる表をつくる。その表をマトリクスというのだ。

 これがあると、要素と要素がどのように連関し、その結果、システムがどうはたらくのかが簡単に見えるようになる。これがあるとないでは、問題解決のスピードと精度が違ってくる。

 ナドラーがマトリクスの例として挙げているのは、警察や私立探偵の犯人探しの方法である。殺人事件がある屋敷で発生したとする。その事件に関与し得る人物をすべて挙げ、それぞれの相互関係と個々の特徴・動機・行動様式などをマトリクス化するのだ。これによって、犯人探しが断然容易になる。

 ここで思い出すのは、韓流ドラマの名作『ミセン』である。主人公はかつて囲碁の天才と目されたが、途中挫折してある会社のインターンとなった青年である。大学出ではないために、周囲から馬鹿にされている。

 しかし、この主人公は出勤の初日に、部署で用いられているパソコンを開いてみて、そのなかのファイルの乱雑ぶりを見るや、すぐにこれを整理して一目瞭然のマトリクスをつくる。これを部署の全員が共有することで、部署全体の成績が著しく向上するのである。

 この主人公の場合、囲碁で鍛えたマトリクス思考が会社の仕事に活かされたといえる。囲碁は人類の知恵の塊なのかもしれない。現代人が好む数独ゲームもまた然りか?ゲームだからと言って、馬鹿にできない。

 物事をシステムとして捉え、そのマトリクスを作成し、考えを整理して目標に向かう。これがナドラーの教えだとすれば、多くの人に役立つにちがいない。システム思考、マトリクス作成、ブレイクスルー。この3つをしっかり身につけたいものだ。

(了)

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