2024年04月23日( 火 )

建築との出会いからこれまで 建築家から見た福岡のまちづくり(3)

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SAKO建築設計工社 代表 迫 慶一郎 氏

 中国を中心に、世界各国で独創的な建築を生み出す建築家として注目されるSAKO建築設計工社代表の迫慶一郎氏。迫氏が建築家を目指したきっかけから、中国に進出して数々の建築を世に発信してきた経験談、さらに福岡の『まちづくり』に対する現状や、今後の発展の可能性について聞いた。

日本と中国での建築の考え方の違い

 ――日本と中国での法規などは、まったく違うものでしたか。

 迫 もちろん違うことはたくさんあるのですが、法規にしても、ちゃんと読めばわからないでもない、理屈は通っている。日本の建築法規が、唯一世界のスタンダードではありません。とくに発展途上国では、ヨーロッパやアメリカの法規を下敷きにしているので、どちらが劣っているということでもないと思いますね。少なくとも建築意匠に関して、法律は障壁にはなりません。その違いをデザインとして昇華すれば、むしろ面白いと思います。

 ――挑戦的なデザインを続けてきたことに、不動産建築バブルがあったことの影響は大きいでしょうか。

北京ピクセル(集合住宅・複合施設)

 迫 両方ともないとだめですね。経済が上向きで、デザインによって新しい価値が付加されるとか、新しい価値を生み出すとかを共有できる社会情勢じゃないと、なかなか革新的な建築、挑戦的な建築というのは生まれにくいですよね。

 ――そういう意味で、今の中国をどう見ていますか。

 迫 誰もが成功できた時期は過ぎ去っていて、中身がともなわない“ハリボテ”みたいなものは評価されない時代になってきています。

 ――それが、数年前とか十数年前とかは通用していた、と?

 迫 まったくもってそうですね。過去に、「北京は建築の実験場と呼ばれています。この状況をどう見ていますか」と、中国メディアから聞かれたことがありました。日本人建築家にダメ出ししてほしくて私に聞きに来ているのがわかりましたが、私は逆に「建築の実験場であることの貴重さを理解するべきだ」と答えました。なぜなら、どの都市もなりたくたって、建築の実験場になれるところなんて世界中でもほとんどないし、なれたとしても、そうである時期も期間も限られている。だから今、北京で革新的なものが生み出されていることは、幸福な時期にあるんじゃないかと。同時に副産物もたくさん生まれていますよね。それは批判されてしかるべきかと思います。しかし、ダメな副産物だけに焦点を当てて、全体を否定してしまうのは良くありません。革新的な素晴らしい建築は、必ず都市の資産になりますよ。

 ――中国の建築家も、育ってきていると感じますか。

 迫 中国の建築家は、どんどん変化していっていますね。2000年当時、名の通った建築家と呼ばれる人は1人しかいなかったんです。共産主義のシステムなので、全部が組織設計事務所ばかりでした。組織の論理的なところに軸足を置いてつくっていて、情報もそんなに入って来ず、05年くらいまでは、見れるものは何もないような状況だったのです。ですが、アメリカやヨーロッパに留学して帰ってきた建築家たちが、先進国で学んだことをベースにやり始め、世界基準に近づいてきています。

 たとえば、現地の本当に貧しい地域で建築するときにでも、現地の素材を使って、現地の人たちが組み立てられるような技術のところまで考えて、その土地の新しい地域性というようなものが生まれています。30代、40代の建築家たちが頑張っていて、新しいフェーズに入っていっていますね。

(つづく)

<COMPANY INFORMATION>
SAKO建築設計工社
代 表:迫 慶一郎
設 立:2004年2月
資本金:10万米ドル
URL:http://www.sako.co.jp/

<プロフィール>
迫 慶一郎(さこ・けいいちろう)
1970生まれ、福岡市出身。筑紫丘高校を卒業後、東京工業大学に進み、96年東京工業大学大学院修了。山本理顕設計工場で8年間の勤務を経て、2004年SAKO建築設計工社を設立。04年~05年には、米国コロンビア大学客員研究員・文化庁派遣芸術家在外研修員を務め、北京を拠点に現在までに100を超えるプロジェクトを、中国、日本、韓国、モンゴル、スペインで手がける。

 
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