2024年03月29日( 金 )

コミュニティ活動に求められるそれぞれの『覚悟』(前)

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大さんのシニアリポート第77回

 拙著『親を棄てる子どもたち 新しい「姨棄山」のかたちを求めて』(平凡社新書)の書評が朝日新聞(平成31年3月9日)書評欄で紹介され、少しずつではあるが販売部数が動き出したと版元から連絡があった。寡作な作家としてはうれしいかぎりである。また取材にご協力いただいた桜井政成(立命館大学政策科学部)教授のブログを拝見して感動した。今回はそれをベースに話を進めていく。

 「桜井政成研究室」のブログには、今回の拙著上梓に関して実に興味深い内容が盛り込まれていた。とくに、「コミュニティとは、迷惑をかける、かけられる世界です」といい、拙著で自分が認知症であることをカミングアウトした香川涼子(仮名)さんについて、「私はこの香川さんの姿に、なんて強い女性なんだろうと思いました。1人で生きていくしなやかさ、したたかさを身につけておられる、と。要は、助けられる覚悟が必要なのです」という。この件について補足する。

香川涼子さん(仮名)

 香川さん(昭和6年生まれ)は私が運営する「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)の常連で、背が高く細身の身体を自作の和服で包み、気品に満ちあふれた女性だった。私は彼女に「見返り美人」というニックネームをつけた。香川さんに異変が生じたと感じたのは三年前の春。「ぐるり」の仲間と温泉旅行に行き、お土産を買ってきてくれたときのこと。私の家の玄関先に、ほかに配るはずのお土産の袋が置いたままになっていた。香川さんに電話すると、「探していた」という。すぐに取りにうかがうというので待っていたが、来ない。玄関のベルを鳴らしたのは、実に1時間後のこと。「家が分からなくなった」といった。

 それから香川さんは「ぐるり」の場所も、自宅も忘れた。銀行のATMの操作を忘れ、日にちも曜日も忘れた。認知症患者は自分が認知症であることを隠すのが普通だ。恐怖心とプライドがあるからだ。香川さんは違った。「ぐるり」の常連に、「私は昨日のことも、家に帰る道も分からなくなりました」と、自分が認知症であることを公言し、助けを求めたのだ。公表することが仲間に迷惑をかけないことになると判断した。

 仲間は動いた。誰いうともなく、香川さんを送り迎えしたり、一緒に買い物をしたり、家の冷蔵庫をチェック(賞味期限の切れた食材で溢れていた)したり、一緒に食事をした。「1人で食事をするって、寂しいじゃないの」といった。香川さんの表情に明るさと柔らかさが増し、認知症を患っているとは思えない日常が続いた。しかし、ふたりの娘が香川さんの行く末を案じた。徘徊や銀行の暗証番号を失念する母親を見て、施設への入所を検討した。「ぐるりの皆さまに迷惑をかける」というのが主な理由だった。

 私は率直に香川さんに聞いた。香川さんは、「このまま皆さまと一緒に(見守られながら)暮らしたい。でも、正直皆さまに迷惑をかけているのではないかという気持ちもある。娘たちにも家庭がある。それを背負いながら母親のことを考えてくれている。入所費用だって用意してくれるっていっているし…」と。私は直接長女に電話をしてみた。「みんなでお母さんを見守っていることが生きがいになっています。このまま続けさせてもらえないか」と提案した。「認知症の高齢者を同じ高齢者がサポートする」ことに、“棄老”を避ける“鍵”があると判断したからだ。これがうまくいけば、「地域で高齢者や生活弱者を支える」という「高齢者相互扶助システム」を稼働させることが可能になると期待した。しかし、「娘として皆さまに迷惑をかけることは心苦しい」といって入所を優先させた。「お別れ会をしたいから、入所日が決まったら教えて」という私の言葉を遮った。「私は見送られることが嫌いです。だから、人知れず消えます」といって、ある日忽然と姿を消した。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

(後)

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