2024年04月27日( 土 )

関西電力の隠蔽体質は不変~渡された菓子折り、底に金貨(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

関電の2・26事件

 この奥村レポートが起爆剤となって、1987年2月26日、「関電の2・26事件」と呼ばれるクーデターが起きた。代表取締役名誉会長・芦原義重氏と、側近の副社長、内藤千里(ちもり)氏が、取締役会で解任されたのである。

 クーデターを仕掛けたのは、ドンの秘蔵っ子の小林庄一郎会長。経営方針の食い違いといった上等なものではない。ドンの寵愛をめぐる子飼いたちの「三角関係」のもつれ、痴話喧嘩の果ての下剋上である。

 芦原社長の最初の秘書が小林庄一郎氏。芦原氏に引きたてられてスピード出世を遂げ、4人の先輩副社長を飛び越して、5代目社長(在任77~85年)に大抜擢された。

 ところが、キングメーカーの芦原氏は、娘婿の森井清二氏を6代目社長(同85~91年)に起用した。公共事業たる関電を、ドンは私物化したのである。会長に棚上げされた小林氏はおもしろくない。反・芦原の急先鋒になる。

 だが、これには別の見方がある。小林氏の狙いは、会長・芦原氏を名誉会長に棚上げすること。芦原氏の娘婿の森井氏を引き上げれば、名誉会長への棚上げ案に対する反対を封じ込めることができると踏んだ。おとなしい森井氏を社長に据えて、小林氏が実力会長として、芦原氏に代わって「関電のドン」になるというシナリオだ。

 芦原氏の次の秘書が、内藤千里氏。これまた、トントン拍子で出世し、副社長に引き上げられた。副社長になっても、内藤氏は「芦原氏の秘書」を自任。ひたすら、芦原氏に忠誠を尽くした。週刊誌は「ゴルフの際、風呂場で芦原氏の背中を流す内藤氏の姿を見て、のけぞった関西の財界人がいた」という話を取り上げた。

 “副社長秘書”の内藤氏は、社内に内藤直結の親衛隊を配置し、二重、三重のスパイ網を張りめぐらし、幹部社員の動向を常にキャッチしていた。芦原体制を批判する幹部社員がいたら、芦原氏から与えられた人事権を行使して、閑職に飛ばした。

原発建設の最大の仕事は政界工作

黒部ダム

 内藤氏の重要な仕事は政界工作である。芦原氏は、他社に先駆け、いち早く原子力発電所を建設した。初代社長・太田垣士郎氏が、「黒四ダム」で名を上げたから、自分は原発で歴史に名を刻むと奮い立った。福井県の美浜、高浜、大飯の原子力発電所が次々に運転を開始。芦原氏の関電での歩みは、原発とともにあった。

 後年、内藤は政界工作の内幕を語った。朝日新聞は「原発利権を追う」の連載記事で『関電の裏面史 内藤千百里・元副社長の独白』(2014年7月28日付朝刊)を掲載した。

 関西電力で政界工作を長年、担った内藤千百里(ちもり)・元副社長(91)が朝日新聞の取材に応じ、少なくとも1972年から18年間、在任中の歴代首相7人に「盆暮れに1,000万円ずつ献金してきた」と証言した。政界全体に配った資金は年間数億円に上ったという。原発政策の推進や電力会社の発展が目的で、「原資はすべて電気料金だった」と語った。多額の電力マネーを政権中枢に流し込んできた歴史を当事者が実名で明らかにした。

 内藤氏が献金したと証言した7人は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登の各元首相(中曽根氏以外は故人。原文のまま)

朝日新聞 連載「原発利権を追う」 『関電の裏面史 内藤千百里・元副社長の独白』
(2014年7月28日付朝刊)

 内藤氏は政治献金について「関電のみならず関西財界を東京と同じレベルにすることを目的とした。芦原義重元会長は、その結果、総理大臣と一対一でいつでも話し合える関係になった」と証言している。

 政界と太いパイプを築いたことが芦原氏の権力の源泉となった。

 今回、”仕切り屋”である高浜市の元助役・森山栄治氏との金銭授受問題がクローズアップされているが、原発問題の核心は政界工作にある。原発工事の発注をめぐり、政治家の口利きがあったのではないか。今後、政治家との関係があぶり出されることはあるだろうか。これが、関電が隠したがる最大の闇だ。

(了)
【森村 和男】

▼関連リンク
・日本文明の恥~関電疑獄事件
・関電疑獄(1)~裏切り防止の「毒饅頭」

(前)

関連記事