2024年04月29日( 月 )

【凡学一生の優しい法律学】学術会議推薦無視事件(6)

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1. 戦後最悪の違法・犯罪内閣の出現 

 菅総理大臣は野党党首の代表質問に対して、裁判官の常套詭弁である「~とまではいえない」という意味不明の言葉を用いて「推薦を無視できないとまではいえない」と発言し、内閣法制局の学術会議法の「違法解釈」を根拠にして、自らの任命権の行使として推薦無視を行ったと答弁した。

 弁別を備えた常識人の解釈としては、「推薦を無視できないとまではいえない」という日本語は「推薦を無視できる」という意味であり、それ以外の意味をもたない。

 「事情によっては無視できる場合がある」という曖昧性を含む解釈は、条文で表現された法律要件の確定解釈・一義的正確性が必要であるため存在しえない。加えて、条文には「事情によっては」という文言は存在せず、明らかに条文の恣意的解釈である。

 次に、条文で明らかに「学術会議の推薦に基づき」とあり、明文の法律要件を否定する解釈は個別の事例において(部分的立法行為となる)法令解釈権をもつ裁判官であっても明白な違法行為となる。

 そのため、内閣の一部局にすぎない内閣法制局には立法者意思を無視し、法令を独自に解釈する権利などあるはずもなく、明らかな違法行為である。ちなみに内閣法制局設置法の条文においても、既成の法律の立法者意思を改変する解釈権は認められていない。内閣法制局は、閣法が憲法その他の法令に違反するか否かを「国会提出前」に調整し、行政執行や行政処分が憲法・法令に違反するかどうかという「事後的」審査を行うが、「事前に」法令を解釈して「指針を提示する」権能はもたない。もちろん、「事前に」内閣から尋ねられた場合には、立法者意思を確認して違法行為とならないようにすることが所轄の義務である。

 今回の内閣法制局の「解釈」は内閣総理大臣の事前の諮問に対して、立法者意思とは異なる見解を示しており、明らかに内閣法制局設置法違反、ひいては国会の立法権を内閣が侵害する憲法違反である。

2. 戦後最悪の違法内閣である理由(その2)

 菅総理大臣は、内閣法制局の違法解釈に基づく独自の任命権があると主張し、さらに従来の学術会議の人選がもつ「偏り」を是正する必要があると主張した。以下に、この論理がもつ重大な2つの背理を示す。

第1の明らかな背理 

 その時々の内閣が勝手に法令を解釈すると、もはや法治国家ではなく、法的安定も存在しない。従来、学術会議会員の任命は内閣総理大臣の専権であるが、その裁量により学術会議の推薦に従ったとすると、学術会議には何の責任もないため今回の推薦無視の理由にはならない。

 推薦無視の理由は「専権」にあり、過去の任命は当時の任命専権を行使した内閣総理大臣に責任があるためだ。推薦が単なる諮問や参考にすぎなければ、法令の文言も「推薦に従う」という日本語にはならない。

第2の明らかな背理

 任命が総理大臣の専権であれば、過去の任命の内容が今回の任命(実際の行為は推薦無視)の正当性の根拠とはならない。専権は過去とは関係なく、現在の総理大臣に認められた絶対的権限であるため、何ら条件も付かない。世間ではこのような無意味の理由づけを「語るに落ちる」という。

3. 戦後最悪の違法内閣である理由(その3)

 法治国家における国家権力の行使に関しては、政治的議論と法律的議論という2種類の議論がある。法治国家では国権の行使が法律に従っているため、法律的議論は政治的議論の前提として存在する。

 通常、国権の行使は適法性が明白である場合が多いため、法律的議論はなされない。しかし、学術会議推薦無視事件は明らかに法令の条文を無視した法令違反であるため、最初に法律問題の決着を付けなければならない。

 多くの似非ジャーナリストの議論は、菅総理大臣の推薦無視行為の適法性問題を素通りし、学術会議の過去の政治的問題性を問題にしている。ひどい学者(似非学者)は70年前の学術会議の提言である「元号廃止」を取り上げ、同会議が偏向性を有していると批判しているが、70年前の提言は現在の会員とは関係がなく、常軌を逸した批判だ。

 学術会議の提言はすべて本質的に「政治的」なものである。学術会議は学者の立場から、政治家である時の内閣に提言をするため、当然のことである。それらの提言は時の内閣に不都合な場合もあれば、そうでない場合もあり、現在の内閣総理大臣が学術会議は過去に「偏り」があると主張すること自体が、制度の趣旨をまったく理解していないことを表しており、御用学者集団であって欲しいとの底意が丸見えである。

 学者の見解が政治的に中立であるかということは、学問の分野によって異なる。たとえば原子力発電の是非については、原子力工学の専門家の意見も多様であり、政治的中立という概念が成り立たない。地球温暖化に関する二酸化炭素排出問題も同様である。

 結局のところ、時の内閣の方針を批判する学術会議は目の仇にされる運命にあり、今回の事件は内閣による露骨な学術会議法の蹂躙といえる。

(つづく)

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