2024年04月27日( 土 )

女性活躍の時代を反映、NYと東京から女性講師が登壇~日本ビジネスインテリジェンス協会第171回例会開催(2)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 日本ビジネスインテリジェンス協会(中川十郎会長・名古屋市立大学特任教授)の第171回例会が10月29日、DEVNET INTERNATIONAL (以下、DEVNET)世界本部(東京・新橋)で開催され、国内外総勢13名の講師による、ユニークかつ貴重な発表が行われた。

 現地会場とオンラインのいずれでも参加できるハイブリッド形式で開催され、ニューヨーク、東京、山形、新潟、京都、神戸、大阪、島根などから、60名を超える有識者が参加した。Zoom会場となったDEVNET世界本部には、30名を超える講師や参加者が集まった。

 基調講演に続いて、12人のスピーカーが登壇した。ここでは、テーマ別にそのエッセンスをお届けする。

 まずは、女性活躍の時代を反映して、2人の女性アーティスト、画家・造形作家の佐藤雅子氏、デザイナーの島津洋美氏が登壇した。ニューヨーク、東京を中心に活躍している佐藤氏と島津氏は、人生の途中から、それぞれ本格的な画家、デザイナーになったという異色の経歴の持ち主である。

「余白」や「余韻」という感覚を大切に

中川 十郎 氏

 佐藤氏は上智大学新聞学科を卒業後、Citibankに入行、縁を得て「香港Asia Fine Art Gallery」の「New Year Exhibition」に出展以来、画家・造形作家としての活動を開始した。

 その後、ニューヨークへ移住し、多くの賞(Art Students League of New Yorkの栄誉あるブルードット賞、Bronxville Women‘s Clubでの最優秀賞など)を受賞し、活動拠点を拡大している。現在は、画家として、東京都美術館、新国立美術館や代官山、銀座などの画廊で作品を展示するほか、造形作家として、昭和記念公園(立川)などで作品を展示し、活躍している。佐藤氏は「ニューヨークでの芸術活動」という演題で次のように語った。

 絵を描く上でもっとも大切にしているのは、日本語の「余白」や「余韻」という感覚です。キャンパスいっぱいに絵を描くのではなく、ある程度の余白や余韻を残す、すなわち圧迫感を避ける、という作風を心がけています。

 ニューヨークで生活をしていると、日本人のもつこのような感覚、また「行間を読む」といった感覚を意識すると同時に、その重要性を感じます。

公共アートで犯罪率低下、治癒率向上

 ニューヨークにきて7年半が経ちました。「パブリックアート(公共アート)」に興味をもっています。日本では、パブリックアートはほとんど普及していませんが、ニューヨークでは、コロナ禍で空洞化したマンハッタンなどの空いているスペースを、不動産屋とアーティストが一緒になりアートの発表の場として生かすという動きが起きています。

 もともと、ニューヨークでは、パブリックアートが盛んな街で、パーク・アベニュー、ロックフェラーセンターなどで行われてきました。パブリックアートを取り入れることによって、犯罪率が下がり、病院など医療機関では治癒率が上がるなど、さまざまな効果が認められています。

ニューヨーク州の弁護士を経て、デザイナーに

 島津氏はニューヨーク州の弁護士である。18歳の時に単身でアメリカ東海岸へ留学し、ジョージタウン大学、ボストンカレッジ法科大学院で法学博士(J.D)取得後、弁護士として、ウォール街の法律事務所に勤務。その後、コロンビア大学経営大学院でMBAを取得、ニューヨークの大手アパレルメーカー、リズクレイボーン社にて、日本統括マネージャーとしてブランド戦略を10年以上手がけている。2011年に「Princess Hiromi」を創業、デザイナーとして活躍中である。

 駐日スウェーデン大使館より日本起業家賞、DELL グランドブレイカー賞(15年)、HUBLOT LOVES WOMEN ファイナリスト(LVMH、18年)など豊富な受賞歴がある。島津氏は「ドレスデザイン活動」という演題で次のように語った。

 私は、幼い時に父から「男尊女卑である日本から出て、アメリカに行って弁護士になれ」と言われて育ちました。ニューヨークに行って弁護士となり、法律事務所で働きましたが、「ちょっと違う」と感じて1年半で辞め、ビジネスへの転向を目指して経営大学院に入りました。

国際感覚があって女性的な個性を魅せる服

 MBA取得後はニューヨークの大手アパレルメーカーに勤務し、「3.11(東日本大震災)」を契機に、11年に自社ブランド「Princess Hiromi」を創業しました。女性が「自分のことを多く語らずとも、一目置かれるような服を着ることによって、自分らしく仕事に集中できる」という、国際感覚があって女性的な「個性を魅せる服」づくりを目指しています。

 私はもともと、幼いころから洋服が大好きでした。若手弁護士であった時代、仕事のできる人物として見られたいと思い、スタイリストをつけていました。私は仕事柄、同僚や上司と日本やアジアにミーティングに来ることが多かったのですが、当時、日本の管理職の女性と会っても、たとえば、ジャケットを着ていない、カジュアルにしているという服装が理由で、部長、取締役などの管理職であると理解してもらえないケースがとても多くありました。

 「私はあなたの貴重な時間に値する人間である」ということを、相手に納得させることができなかったのです。

 洋服の歴史は日本では100年以下ですが、欧米ではその何倍もあります。私は東京生まれですが、ルーツは薩摩にあります。日本人の精神力、人間力は、決して欧米に劣っていませんが、ビジネスの世界では、洋服のちょっとしたところで劣っているように見られ、理解してもらえないことは、とても残念です。「女性らしさはあっても凛としている」、そのような服装の実現に尽力していきたいと考えています。

(つづく)

【金木 亮憲】

(1)

関連記事