ダイバーシティのまち 住吉・美野島がたどってきた歴史(5)
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近代
対岸の遊郭誕生と蓑島駅周辺の工業地帯化(つづき)11年10月には、市内を走る路面電車「博多電気軌道」(現在の西日本鉄道の前身の1つ)の循環線が開業。このとき、「住吉町二丁目」「住吉宮前」「蓑島」の3駅がエリア内に開業し、駅周辺の都市化が進行していった。12年には現在の「精華女子高等学校」近くの住吉4丁目に住吉小学校も開校するなど、新柳町遊郭の盛況に引っ張られるかたちで、対岸の住吉・美野島エリアでも徐々に開発が進んでいくことになる。とはいえ、27年発行の「最新福岡市街及郊外地図」(福岡県立図書館所蔵)を見る限りでは、都市化が進んでいるのは博多電気軌道・循環線沿いの住吉神社の北西側エリアと、現在の美野島商店街が位置する蓑島のごく狭いエリアにとどまり、それ以外の多くはまだ田畑が広がっていたようだ。
29年7月には、北九州鉄道(現在のJR九州・筑肥線の主要部を建設・運営した鉄道会社)の「福岡蓑島駅」(37年10月に国有化にともない「筑前蓑島駅」へと改称)が現在の美野島3丁目に開業した。すると、駅を中心として博多織やゴムなどの工場が次々と新設。なかでも、日本足袋(株)(37年4月に日本ゴム(株)へ商号変更/現在のアサヒシューズ(株))が輸出ゴム靴専用工場として駅開業前の28年に新設した福岡工場は、約3万坪の敷地に約4,000人もの従業員が勤める巨大なもので、当時の福岡市では最大級の工場だったようだ。
これらの工場で働く従業員とその家族など多くの人が集まり、周辺には新たに住宅街が形成。その一方で、人々の生活を支えるために商店が集積していったのが、元祖“博多の台所”といわれる現在の「美野島商店街」の始まりだったとされている。
こうして戦前にかけて住吉・美野島エリアでは、現在に至るまちの基礎が次第に形成されていった。
現代
工業地帯の衰退とキャナルの誕生終戦直前の45年6月に福岡のまちを襲った「福岡大空襲」では、幸いなことに、住吉・美野島エリアへの被害はほとんどなかったとされる。そのため、両エリアは47年1月から行われた「戦災復興土地区画整理事業」の対象地域にも入っておらず、良くも悪くも戦前からのまちの面影を色濃く引き継いでいるといえよう。狭隘で不規則な道路形状や、密度の高い住宅・商店、独特な宅地の形状などは、その最たるものだ。
戦後、GHQによる公娼廃止指令を受けて赤線区域(半ば公認で売春が行われていた区域)となった新柳町だが、その後、58年4月に売春防止法が施行されたことで、赤線が廃止。新柳町は後に「清川」へと町名が改正されるのだが、花街・新柳町遊郭の灯が途絶えたことで、対岸の住吉・美野島エリアの活況にも、少なからず影響があった模様だ。
(つづく)
【坂田 憲治】
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