【八ッ場ダムを考える】八ッ場ダムと川辺川ダムは何が違ったのか?(前)
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共通点は工事ストップ
国土交通省ではかつて、八ッ場ダムと川辺川ダムを「東の八ッ場、西の川辺」と並び称していた時期があった。いずれのダムも、地元住民の反対などにより、数十年かかっても建設事業が前に進まなかったからだといわれる。ダムの規模が似ていることもさることながら、2009年の民主党政権誕生にともない、ダム事業の検証のため、本体工事がストップしたこと、当時7割ほど事業が進んでいたことも共通している。
最大の違いは県知事
当然違いもある。まず違うのは流域の規模だ。流域面積を見ると、利根川が1万6,840km2なのに対し、球磨川が1,880 km2と9倍近い開きがある。流域人口に至っては、利根川の約1,300万人に対し、球磨川が約14万人、その差は90倍以上に上るなど、比べものにならない違いだ。
ダムの目的も異なる。八ッ場ダムが治水、利水、発電などを担う特定多目的ダムなのに対し、川辺川ダムは、当初は多目的ダムとしてスタートしたものの、利水事業者が相次いで撤退し、2000年代後半には事実上、治水専用ダムとなっていた。八ッ場ダムには6都県などの共同事業者としての利水受益者が存在したが、川辺川ダムには存在しなかった。存在したのは、ダム立地県であり、治水受益者である熊本県だけだった。
最大の違いは、やはりダムが立地する県知事の立場、態度だろう。八ッ場ダムは群馬県、川辺川ダムは熊本県だが、群馬県はダム賛成、熊本県はダム反対(計画を白紙撤回)の立場をとった。いずれもダムの有効性などに関する検討が行われ、ダム建設継続が最も有力と評価されていたが、異なる判断が下された。熊本県知事が下した判断の是非についてはもう論じないが、有識者の意見よりも流域首長や住民の意見を尊重したと考えて差し支えない。不思議なのは、八ッ場ダムは最初から国主導で建設が進められたのに対し、川辺川ダムは熊本県が要望して建設がスタートした経緯があるにもかかわらず、群馬県がダムに賛成し、熊本県が反対している点だ。スジ論でいけば、ダムに反対する資格があるのは、むしろ群馬県のほうだろうと思われる。
住民はダム事業継続を求めた
ここで注意を促しておきたいのは、09年にダム本体工事にストップがかかった際、水没自治体である長野原町(八ッ場ダム)、五木村(川辺川ダム)では、いずれもダム建設継続を望んでいたという事実だ。もちろん住民のなかには筋金入りの反対論者はいるが、自治体、住民の多くは事業継続を求めた。その理由としては、すでにダム建設に合意していたこと、生活再建関連の工事がある程度前に進んでいたこと、ダムができる前提で生活設計を立てていたことなどが挙げられる。
住民がダム事業継続を望んでいたのは事実だが、それはダム建設に前のめりになっていたことを意味するものではない。多くの住民にとって、「ダムをつくるかどうかわからない」という状況が続くことが、精神的に一番キツイ。ダムはないほうが良いに決まっているが、現実問題として、今さらダムをなかった話にすることは難しい。仕方がないので、とりあえず事業継続を求めたというのが実際のところだろう。
(つづく)
【大石 恭正】
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