来春、青果市場跡地再開発が完了「博多SOUTH」はどう変わるか!?(3)
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田畑が広がる農村地帯が、駅開設を機に市街化進行
7世紀ごろの飛鳥期には、博多の港から地方行政機関「大宰府」に向けて伸びる古代の官道が整備された模様で、今の九州管区警察学校(板付6丁目)付近からその痕跡が見つかっている。また、平安期にはいくつかの荘園があったことが記されているが、基本的には豊かな水田が広がる農村地帯だったようだ。その傾向は、中世・鎌倉~戦国期や江戸期に至るまで続いていたようで、江戸期に描かれたとされる10枚の絵図からなる「筑前国郡絵図」では、筑前国那珂郡の絵図のなかで「那珂村」や「竹下村」「板付村」などの記述が確認できる。ただし、絵図ではそれぞれに集落が形成されている様子はうかがえるが、その規模や詳細については不明だ。
明治期になると1889(明治22)年4月の町村制施行にともない、那珂村、麦野村、東光寺村、板付村、諸岡村、竹下村、そして井相田村の字雑餉隈以外が合併して「那珂郡那珂村」が誕生。なお、このときに市制施行によって福岡市も誕生している。同年12月に、九州鉄道(現・JR鹿児島本線)の博多~千歳川仮停車場間が開業。96年2月には那珂郡が御笠郡および席田郡と合併し、筑紫郡となった。
前出の九州鉄道はその後、1907年7月に国有化。13年9月に内閣鉄道院によって竹下駅が開設された。すると、21年4月には大日本麦酒(株)(現在のアサヒビールやサッポロビールなどの前身)の博多工場が竹下駅の近接地に竣工。「アサヒビール」などの生産を開始し、国内外に出荷するようになる。同工場は2本の高い煙突を備え、当時は相当目立つ存在だったようだ。なお、同工場は改修・増設などを繰り返しながら「アサヒビール博多工場」として今なお現役で稼働しており、今年4月にちょうど操業100周年の節目を迎えたばかりだ。なお余談だが、前出の東光寺剣塚古墳は、同工場の敷地内にある。
明治、大正、昭和と時代が移り変わるのにつれて福岡市の都市化が進み、近郊に位置する那珂村でも新たな開発が進んでいった。26(昭和元)年発行の「福岡市及近郊実測図」(発行:都市計画福岡地方委員会)では、竹下・那珂・東光寺といった竹下駅の東側エリアをはじめ、五十川や板付などで集落が形成されている様子がうかがえる。ただし、それでも昭和初期の博多SOUTHの大部分には田畑が広がり、まだまだ農村地帯の性格が濃かった模様だ。
しかし、日清・日露戦争、そして太平洋戦争に向け、街の様子も変わっていくことになる。とくに、博多SOUTHの南側にあたる雑餉隈では43年に九州兵器や九州飛行機の工場が稼働したほか、小倉造兵廠春日製造所なども合わせて、一帯は一大軍需工場群と化した。すると、そうした軍需工場で働く人員が周辺部の博多SOUTHエリアなどに集まり、都市化・宅地化を促進。また、博多SOUTHの東側にあたる席田の耕地中心部が帝国陸軍によって接収され、44年2月に席田飛行場の建設が開始された。これが現在の福岡空港の前身である。なお、この間40年4月には那珂村が町制施行して「那珂町」となった。
(つづく)
【坂田 憲治】
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