2022年05月24日( 火 )
by データ・マックス

50年前の高田を旅してみた(4)

毎年9月に行われた「報恩講」

 私が高田の瞽女、杉本キクエさんたちを訪ねた3カ月後の1971年(昭和46年)3月、直江津市と高田市が合併し上越市が誕生した。2005年(平成17年)に周辺の町村を合わせた人口21万の中規模都市へと姿を変えた。

岸田 國昭 さん
岸田 國昭 さん

    「新市役所の場所を両市の中間にあたる春日山駅前に設けたことでもわかる通り、どっちつかずの中途半端な行政運営にならざるを得ません。高田は時間が止まってしまった街です。雁木がほぼ原形のまま残されているのも、行政の手から漏れてしまったからなんです」と話してくれたのは岸田國昭さん。岸田さんはNPO法人「街なか映画館再生委員会」の委員長で、旧市街地の建物のリノベーションを手がけ、再生を図るメンバーの1人である。

 建物は基本的に雁木が含まれる。運営する映画館「高田世界館」は自主上映映画が主体。「誰でもスマホで撮影が可能になる時代です。自分の興味のある日常的なものを撮ることができる自由さがあります。完全オリジナル上映作品が大半を占めます。80歳を超えた老監督が撮影した映画も取り上げます。それを観たいというレアな客層に支えられて、かろうじて黒字です」と岸田さん。50年前の高田とは明らかに違った。

高田世界館
高田世界館

 高田瞽女が活躍していた時代、楽しみは年に1回催される祭事だろう。寺町にある東本願寺高田別院を散策した。杉や松、銀杏の巨木がうっそうと茂っており、静けさのなかに往時の風景を彷彿とさせる空気がたしかに漂っている。

 ここでは、毎年9月23日から28日にかけて「報恩講」(開祖親鸞の恩を謝する祭礼)が行われた。街の人たちが「お掛所」「高田御坊」「お多屋」と呼んで親しむ高田最大の祭りだった。この話は手引き(晴眼の瞽女が先頭に立ち、盲目の瞽女たちを先導する)のキノエの証言によるものである。キノエが東京に逃げた当日だから、1924年(大正13年)9月28日。祭り最終日の様子である。

 キノエは桃割れの頭に花簪(はなかんざし)を刺し、少し派手なニコニコ絣の単衣にお太鼓の帯を締め、朱色の鼻緒のついた桐の下駄をつっかけ、走るようにして潜り戸を出た。道の両側にはテント張りの店の列、綿飴、鳥飴、衣類、小間物、ドラ焼き、お菓子などの露店をはじめ、覗きカラクリ、輪投げ、射的小屋、すべて3銭5厘の万屋などがぎっしり軒を連ね、見物人の顔と手がひしめき合っている。仲町の空地には軽業(サーカス)のテントが人々をのみ込み、空中ブランコや自動自転車(オートバイ)の妙技に目を輝かせている。

 別院の山門を潜るとき、顔をしかめた。山門の両脇には「はなれ瞽女」が数人、三味線を弾きながら前を通る人に喜捨を乞うていた。同業者がこのような汚いなりで、それもわずかばかりの金を通りすがりの人に乞うことがキノエには許せなかった。その見えない目を必死に前方に向けながら叫ぶように唄い続けるかつての仲間を見て、複雑な心境になっていく。

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 「はなれ瞽女」とは、何らかの理由で「座」という仲間組織から追放された瞽女のことをいう。キノエが仲間の様子を見て複雑な気持ちになったのは、自分はほかの人たちと同様、目の見える健康な娘である。これから東京へ出奔しようとしている自分が、「座」を捨てた「はなれ瞽女」と同じ境遇にあると感じたからだ。

不思議な因縁

 50年ぶりに高田を訪ねた翌々日、岸田さんの車で旧市内の外れを流れる関川を超えて戸野目地区に入る。私の目に飛び込んできたのは、50年前に見たままの雁木が連なる街の風景だ。旧市街地から取り残され、再開発からも見放された結果、昔の原風景がそのまま残されてしまった。

 豪雪地帯の高田では、降雪すると屋根の雪をそのまま道路に捨てた。やがて捨てられた雪は1階の軒を超す。住人は2階にある引き戸から外に出た。道路向こうの家に行くにはトンネルを掘った。

 それが生活道路として活用されると、消雪のために流雪溝を設けたことで生活が一変した。日常的に車の使用が可能になり、街の人(とくに若者)が外に出られるようになった。「そしてそのまま高田に戻らなくなりました」と岸田さんは皮肉を込めて話した。

 最終日、雁木下の町家つくり(国の登録有形文化財)に設けられた「瞽女ミュージアム高田」を訪ねた。瞽女を精力的に描いた画家・斎藤真一氏の絵画を中心に、当時の写真や資料などが展示されている。

 案内してくれた渡辺裕子さんの言葉が印象に残った。「私は瞽女さんを心の底から尊敬しています」。1983年(昭和58年)に上梓した『高田瞽女最後』(音楽之友社)を区切りに、私は瞽女の世界から意識的に距離を置いた。ところが来年、高田瞽女の本を出す。そこに不思議な因縁を感じている。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第106回・3)
(第107回・前)

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