2024年04月20日( 土 )

技術に疎い文系トップ 投資ファンドを招き入れ墓穴を掘る(後)

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(株)東芝

 東芝の凋落は目を覆うばかりだ。かつて名門企業の代名詞であった東芝は、今や、「物言う株主」たちのオモチャになり、彼らのマネーゲームのカードとして弄ばれている。どうして、こんな無様な姿をさらすようになったのか。歴代トップの足跡から追いつめられた根本の理由を検証してみよう。

ファンド出身者が買収案選定の特別委員会のメンバーに

 経営再建に向けた戦略案を公募していた東芝は6月2日、10件の応募があったと発表した。うち8件は非公開化を前提とする提案で、残る2件は上場維持を前提とした戦略的資本業務提携に関する提案だった。

 公募に応じたファンドなどの名前は明らかにしていないが、「ロイター通信」(6月2日付)は、複数の関係者の話として10社を伝えた。

 〈(海外勢では)米ベインキャピタルや米コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)、米ブラックストーン、米アポロ・グローバル・マネジメント、カナダのブルックフィールド・アセット・マネジメント、韓国のMBKパートナーズ、英CVCキャピタル・パートナーズ。国内勢では日本産業パートナーズ(株)(JIP)とポラリス・キャピタル・グループ(株)が提案への参画を検討していることが分かっていたほか、産業革新投資機構(JIC)の名前も浮上している〉

 綿引氏は、冒頭にあげた報道陣の取材にこうも言っている。

 〈綿引氏はまた、2人が選任された場合に、東芝は2人を買収案選定の特別委員会メンバーとし、退任するまで継続する約束をしていると明らかにした。そのうえで、「このような『不平等条約』を受け入れてまで2人を招聘することは許容できない」と表明した〉(「時事通信」6月6日付配信)

 新たに社外取締役に任命される「物言う株主」の2人は、買収案選定の特別委員会のメンバーになることが約束されているというのだ。ファンド側が主張する東芝の非公開化に向けて布石を打ったのが、ファンド出身2人の取締役選任。デキレースというほかはない。

 ファンド側に応援団がかけつけた。投資家に議決権行使を助言する米大手のISSおよびグラスルイスは、取締役候補の全13人について「賛成」を推奨した。綿引氏が異例となる反対を表明していることについて、グラスルイスは「疑問を感じる」と批判した。

 「物言う株主」が東芝の取締役会を乗っ取った。東芝が、株主還元の最大化を求める「物言う株主」に骨の髄までしゃぶり尽くされるのは目に見えている。

技術者社長の系譜がIT企業への転身を可能にした日立

東芝のライバル日立製作所(本社の入る日本生命丸の内ビル)
東芝のライバル日立製作所
(本社の入る日本生命丸の内ビル)

    東芝はどうして、こんな体たらくに陥ったのか。ライバルの(株)日立製作所と比べると、一目瞭然だ。08年のリーマン・ショックで、東芝は09年3月期の最終損益が3,989億円の赤字に転落。日立は製造業として過去最大となった7,873億円の最終赤字を計上した。ただ、経営危機に陥った両社のその後の復活に向けた歩みは大きく異なる。

 日立の再建を託され社長に就いた川村隆氏、後任・中西宏明氏が、事業の止血と同時に力を入れたのが、グループ会社の再編だった。上場会社22社の再編を進め、「日立御三家」と呼ばれた日立化成(株)や日立金属(株)など上場子会社も売却対象とした。今年4月に発表した(株)日立物流の売却により、10年来のグループ再編の最終章が完了することになる。

 製造業の根幹ともいえる化学部門と金属部門の売却は、日立が抜本的な再編に乗り出したことの象徴といえる。すなわち製造業からの脱却だ。日立が目指すのは、IT(情報技術)を活用する企業への転換だ。21年に95億ドル(約1兆円)で買収した米グローバルロジックとの相乗効果をテコに、データを活用して社会インフラを効率化するloT技術基盤「ルマーダ」の世界展開を加速させる。

 日立は初代の小平浪平氏から数えて歴代社長12人全員が理工系出身だ。歴代トップの技術者としての系譜が、短期間での製造業からIT企業への転身を可能にした。

東芝の文系社長が目指した「財界総理」の座

 東芝は日立とはまったく異なる。戦後の東芝争議後の社長に就任した18人(2度就任した綱川智氏は1人と数える)のうち、大学で理工学系学部を卒業したのはわずか7人。ほか東大教養学部卒の綱川氏を除き、10人が法学部や経済学部の出身。

 防衛産業や原発事業を手がけてきた東芝は、伝統的に永田町(政界)や霞ヶ関(官界)とパイプが深く、持ちつ持たれつの関係を続けてきた。その結果、技術者よりも政治家タイプの文系出身者が幅を利かせた。

 戦後、再出発した東芝の実質的初代の社長、石坂泰三氏とその石坂氏が自らスカウトした土光敏夫氏は共に「財界総理」の異名がある経団連会長を務めた。高度成長期の昭和の御代、東芝は、新日本製鐵や東京電力と「経団連御三家」と呼ばれた。

 東芝は栄光をもたらした昭和のモデルを忘れられなかった。その後も、岩田弐夫氏や西室泰三氏、西田厚聰氏ら文系出身社長は「財界総理の座」に座ることを悲願にした。

東芝OBが西田氏の経団連会長就任を阻止

経団連会館
経団連会館

    10年に経団連会長がキヤノン会長・御手洗冨士夫氏から住友化学会長・米倉弘昌氏に代わったが、御手洗氏が後任に据えたかったのは、経団連副会長の東芝会長・西田厚聰氏だった。ところが、東芝のお家事情でなれなかった。

 障壁となったのが、西田氏の前任社長・岡村正氏だった。岡村氏は日本商工会議所会頭を務めており、経済三団体のトップ2人を同一企業の出身者が同時に占めた例はない。

 西田氏が経団連会長に就くためには、岡村氏が会頭を辞めなければならない。元社長で相談役・西室泰三氏は、自分がなれなかった経団連会長に西田氏が就くことに嫉妬を燃やし、「岡村さんは続投すべきだ」と激励した。西田氏を嫌う岡村氏は会頭を退かなかった。東芝OBがこぞって、西田氏の経団連会長を葬り去ったのだ。

 東芝の解体寸前の低迷を招いたのは、このような技術に疎い文系トップの経営首脳間の確執だろう。日立のようにIT企業への転換を図るのではなく、昭和モデルを引き継いだまま、安易に投資ファンドを招き入れたことにより墓穴を掘った。

(了) 

【森村 和男】

(前)

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