WF再開発への提案、北天神・長浜に「界隈」を(後)
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博多は、全国屈指の好漁場である玄界灘を擁した生産地機能と、福岡都市圏を背景とした消費地機能の二面性を有する、全国で類を見ない特性をもった港湾都市といえる。博多港は中国の沿岸都市や韓国など東アジアの都市とも行き来しやすい位置にあり、九州内の外国貿易で使用されるコンテナ取扱量の半分を占めている。24時間コンテナを扱うアイランドシティ、香椎パークポートのコンテナターミナルをはじめ、自動車などさまざまな荷物を扱う箱崎ふ頭、石油が集まる荒津地区、鮮魚の長浜地区、穀物の須崎ふ頭、ガスの貯蔵タンクがあり建設資材が運ばれる東浜ふ頭、中央ふ頭には全国有数の国際旅客ターミナル「博多港国際ターミナル」と「中央ふ頭クルーズセンター」がある国内屈指の交易の拠点だ。
福岡市の中心地と近距離にある港湾機能。海と近い位置にあるその特異な地理環境は、水辺のまちづくりに活かされているだろうか。今回、北天神/長浜を通してウォーターフロント再開発の可能性を模索してみたい。
開発圧力の減速そろそろ
成熟社会では、自然資本、人的資本、そして社会関係資本への投資がより大きな重要性をもつようになる。日本の都市は高度成長期以来、強い開発圧力に晒されて、次々と緑地や農地を潰し、工業用地、住宅用地、商業用地に転換してきた。収益率の高い用途がほかにあったため、自然資本への投資が、経済的に正の社会的収益率をもたらすという認識が一般化しなかったのだ。
しかし今後、人口減少局面ではこの関係が逆転する。これまでの開発圧力が緩やかになり、利用されなくなった土地を自然に戻して緑地を整備したり、公園を計画的に整備したりしていくことで、日本の都市の自然資本をもっと豊かにしていく。高い収益率をもたらす経済的用途が減少する一方、自然資本が豊かで環境の良い土地の宅地価格は、高く維持されていくのではないか。結果、自然資本に投資し良好な環境を備えた地域開発のほうが、収益率が高まることにつながっていく。
「人口減少は都市にとってマイナス」という発想から、脱却しなければならない。「この機会をまちづくりにとってプラスに転化するにはどうすべきか」という発想が必要だ。そろそろ急速な都市化と人口・産業の集積で、高度成長期には手が付けられなかったさまざまな問題を克服し、人々と生活の質を反転させる良いタイミングなのだ。
開け!『福岡市8区(ハック)』
【福岡市8区(ハック)】未来型都市構想コミュニティ…福岡市8番目の仮想行政区。提言者、オーディエンス(応援コメント)、土地の所有者、プレイヤー、専門家等の集まる、開かれたコミュニティ。ハードウェア構築の際、建築家や専門者、関係者だけの集まりになってしまう偏重主義を回避する。広く市民やユーザーの意見を取り入れて提案の中身を吟味し、採用に向かう参加型のプロジェクト公募・運営DAO(※)。仮想空間上だからこその、おもいっきり逆張りした空想提案や面白アイデアなど、現実社会との中和点を探る。そのなかで専門家はキュレーターのような役割を担ってほしい。
この街のアイデンティティーは何だろうか──長浜を含めた天神北側のウォーターフロントエリアを考える。ソフトづくりを街や空間とともに考えて、いかに独自性のあるストーリーをつくっていけるか。また、そこにプレイヤーを混ぜていけるか。これからのエリアリノベーションの重要ポイントになってくるのは間違いない。
(※)Decentralized Autonomous Organization
ブロックチェーンの登場によって可能になった、新しいコラボレーションのかたちであり、ブロックチェーン上で実行されるルールを共有し合い、ミッションを中心に組織されたグループ、コミュニティのこと。「競争」よりも「共創」を重視する組織運営には特定のリーダーは存在せず、その運営方針はコミュニティメンバーの総意(投票活動)によって決定される。(株)をはじめとする従来の組織とは根本的に異なっており、ウェブ3が本格化する時代において盛り上がる組織形態として注目されている。
建築家や一部のプロジェクトオーナーが良いと言ったものを消費する時代は終わって、生活者が提案をし続け、変わり続ける建築・場所の在り方に移っていくのだろうと思う。そのとき、DAOのような参加型コミュニティで『投票型プロジェクト公募サイト』を伴走させられないだろうか。「こんなものあったらいいな」ファンサイトのような、もしくは「提案書の落札型クラウドファンディング」のようなもの。“何があったらいいかをみんなに問う”ところに重点を置く、開かれた開発だ。
実社会では採用は1案のみ。それ以外は没だ。Web3では、さまざまな競争案も検討途中では重要な役割がある。没案になったとしても、良いところは抽出評価され、報酬として貢献度に応じてトークンが配られるようなデジタルシステムだ。
これから都市の未来をどうしたいか=「Want」の視点が重視される時代、その街の住民1人ひとりの意見や提言が集まって蓄積されていく。そんなコミュニティが存在すれば、そこに街の課題や提言、面白い企画、またコンペなどの競技のジョイントもしやすく、オーナーシップをもって市民参画しやすい。期待される空間の実現に、より早い段階でリーチできるのではないだろうか。
(了)
<プロフィール>
松岡 秀樹(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。博多ふ頭開発推進の軌跡
伝説のプロデューサー
浜野 安宏 氏「ただきれいなだけの芝生の公園。ウォーターフロントを飾り物の公園にしてはならない。近代社会を除いて水際は昔から人間のものだった。水辺をもう一度、私たちのものに取り戻せ」浜野 安宏
高度成長期、日本のウォーターフロントを構想し続けたプロデューサーがいた。浜野安宏氏は、東京のウォーターフロントや神戸ハーバーランド、横浜ポートサイド地区、そして現在のベイサイドプレイス博多のある博多ふ頭の開発も動かした。博多の海沿いの風景に力を注いだ諸先輩方の軌跡を最後に紹介したい。
「海の中道、博多湾、中洲、天神、そしてこのふ頭、こんなに面白くてきれいな街がどうして水にお尻を向けているんだ。それにこんな街の真ん中にある博多ふ頭を、どうしてほったらかしにしてあるんだ。このふ頭からでも博多の街は水に向かってやり直せるはずだ」――博多湾は残念ながらすべてが陸を向き、海には背を向けている。建物は陸地の発想で建てられ、そこを訪れる人々は海の景観のすばらしさを味わうことはできない。しかしあのふ頭からならば、我々は海に向き直る運動を始められるかもしれない。博多ふ頭は快適な商空間をつくるにふさわしいスケールとポジションをもっている。日本で初めて本格的なウォーターフロントができる。それが浜野の考えだった。
1986年1月6日、浜野は仲間たちとともに、当時の福岡市議会議長・山崎広太郎氏を訪ねた。東京、神戸のウォーターフロントは残念ながら中途半端で、まだ本格的なウォーターフロントは日本にはない。浜野は最初の事例をつくろうと訴えた。ナンバーワンになれるのだと。「明日までに企画書をください。私が市長に会ってお願いします」これが山崎氏の答えだった。
86年3月、浜野は山崎議長と当時の福岡市長・桑原氏に会った。山崎氏の根回しのおかげで、行政側と開発者側のコンセンサスがほぼ得られた。また浜野は、数百万円でもいいので市の予算をつけてほしい、と市長に嘆願した。わずかな予算でもいい。とにかくこの構想に市民権を与えておいて欲しいのだ。この要請は承諾され、新年度の予算が付いたという。
博多ふ頭再開発は「市のプロジェクト」として認知され、正式にスタートした。「海に開かれたアジアの拠点都市の建設」という福岡市の都市政策に博多ふ頭は見事に合致して、テイクオフしたのである。海の玄関口「博多ふ頭」は丸6年かけて、海に開かれた福岡・博多湾の新時代を切り拓き、日本のウォーターフロントの夜明けを告げるシンボルとなった。これが日本という国で大規模な開発を行うときに越えなければならない大きなバリアだったと、後に浜野は語っている。それ以後、神戸のハーバーランドや六甲アイランドの建設、首都圏臨海部の再開発(横浜みなとみらい21、幕張、浦安)など、日本中の港湾再開発へつながっていったのだ。
<博多ふ頭 開発推進の流れ>
文献『ファッション都市の創造/浜野安宏』より抜粋1986年1月…浜野安宏、福岡市議会山崎議長に博多ふ頭再開発を提言
1986年3月…浜野安宏、山崎議長とともに桑原福岡市長と福岡ウォーターフロントについて会談、博多ふ頭再開発を提言
1986年4月…浜野商品研究所、再開発推進のための福岡市の各局(港湾局等)との調整を続ける
1987年6月…博多ふ頭ウォーターフロント整備事業調査開始
1987年11月…福岡市に整備事業調査報告書提出
1988年3月…PIER HAKATA基本設計開始
1988年6月…PIER HAKATA基本設計業務概要書提出
1988年10月…第三セクター・(株)サン・ピア博多設立
1988年11月…博多ふ頭開発プロジェクト設計室の開設。浜野商品研究所、K計画事務所より所員常駐
1989年3月…(17日~9月3日)アジア太平洋博。既存事務所、倉庫の立ち退き交渉の難航により着工が遅れる
1990年3月…(29日)着工(第一期計画のA、B、C着工)
1990年11月…C棟(ターミナル棟)の仮使用開始
1991年6月15日…オープン月刊誌 I・Bまちづくりに記事を書きませんか?
福岡のまちに関すること、再開発に関すること、建設・不動産業界に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。
記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。
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