2024年05月16日( 木 )

日本人よ、森を守ろう─「成長」に代わる新グランドデザイン考察(2)

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 明治維新以来、日本社会は欧米社会を近代化のモデルとして政策を行ってきた。大雑把にいえば、経済領域では資本主義経済の導入による工業化が図られ、政治分野では憲法の制定や普通選挙の導入、女性活躍推進など、欧米を追いかけるように社会を変革させてきた。福祉の分野でも、ヨーロッパ諸国をモデルに福祉国家の形成に取り組んできたし、当然近代化を目指した建築業界は都市化させることに注力した。明治以来の「欧米に追いつけ、追い越せ」も、昭和の列島改造も、自己ではない何者かになることを目指す「改造の論理」に貫かれたものだ。

 改造の論理の根底にあるものは、不都合なもの、不便なものは亡きものにしようとする自己否定だ。そこに国の未来はない。否定ではなく、改造でもなく、この列島の性質と国民の気質を受け入れ、価値を再評価する時期がきている。前号では「都市」について触れてきた。今号では、農山村部からこの国の骨格がどのように都市に向かっていったのか、その背景を探ってみたい。

(文献引用:日本列島回復論/井上岳一)

強い国づくりとそれを支えた里山

 近代国家としての成立を急いだ新政府は、中央集権的な統治体制を築き、自立した経営体である藩の集合体国家から中央集権的な統一国家へと国体を変革するために、2つの旗印を掲げた。「殖産興業」と「富国強兵」だ。

 森林の恵みは、都市やインフラの建設に使われた。急激に人口が増加する都市には膨大な建材需要が生まれ、道路や橋梁の資材、電信柱などにも木材が使われた。1869(明治2)年から始まった鉄道建設は大量の枕木を必要としたし、造船にも木材が使われた。家庭用の煮炊きは薪炭が中心で、軽工業の工場にも薪炭が使われた。同時に工業製品も含め、里山の恵みと深く関わった商品(米、石炭、木材、海産物、生糸、茶など)が輸出され、外貨獲得にも寄与する。1897(明治30)年になると、鉄鋼、造船、化学などの重化学工業が立ち上がる。重化学工業のエネルギー源は石炭と、明治20年代に始まった水力発電で、石油によるエネルギー革命が起きる昭和40年代まで日本の主力エネルギー源であり続けたが、これもまた里山の恵みといっていいものだろう。

 日本は日清戦争(1894年/明治27年)、日露戦争(1904年/明治37年)で勝利した。黒船来航では何もできなかった日本が、1867年の明治維新から40年足らずで大国ロシアに勝つまでになったのだ。このような短期間で富国強兵に成功した背景にも、豊かな里山の存在があったといえるだろう。

森の放置が街に影響も

森林の恵み
森林の恵み

    ほとんどの日本人が森と直接の関わりをもたなくなっているが、日本列島に住む限り、その存在を無視しては生きていけない。この列島に暮らす限り、私たちは森とは切っても切れない関係にあるのだ。

 日本の森の4割は人工林で、その大半は戦後の大造林期に植えられたスギ・ヒノキを中心とする針葉樹の一斉林とされる。人工林がややこしいのは、放置しておけば自然に還って良い森になるとは限らないということ。人の都合で植えたものは、ある程度のところまでは手を入れてやらないとうまく育たない。とりわけ一斉林の場合、除伐や間伐をすることを前提に密植しており、手入れをしないと育ちが悪く、光の入らない鬱蒼とした暗い状態のままになってしまうのだ。これらの林は、病害虫や暴風・豪雨・積雪に弱いという欠陥があり、倒壊や山崩れの恐れもある。

 人が住まない奥山で森の倒壊や山崩れが起きても関係ないと思うかもしれないが、倒木や土砂が堆積して水を止め、ダム状になるとそれが決壊したときに大規模な土石流が発生し、下流域にも甚大な被害をおよぼすことがある。水害が起こる背景には、このような山の手入れ不足という原因もあるのだ。そういう森林が日本の森林の4割を占めている事実を、私たちは認識すべきだろう。

 人工林を放置すれば災害の危険性が高まり、天然林を放置すれば当然、手なずけられない野生が増殖して里を呑み込もうとする。人工林にせよ、天然林にせよ、森を放置することは、人にとってのリスクの高まりを意味するのだ。また、森による二酸化炭素の吸収・固定能力を極大化しようと思ったら、木材をどんどん伐り出してその木で家を建てるなど、できるだけ長く木の状態で使い続けながら伐採跡地には植林をし、若い木を育てる。つまり、人が木を使うことで森に手を入れ続け、二酸化炭素を吸収・固定させるサイクルをぐるぐると回すことで、若々しく健全な森を保つことができるのだ。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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