2024年06月15日( 土 )

なぜ不寛容社会になってしまったのか(2)

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 今日日(きょうび)、子どもに“こんにちは、今日も暑いね”と、挨拶がてらこのように声をかけると、即座に不審者扱いされ、行政のLINEサービスで市民へ注意喚起の通達が出回っていく始末。これを現代では「不寛容社会」というらしい。

「ウチ」「ソト」を分ける

日本には「ウチ」と「ソト」が生きている pixabay
日本には「ウチ」と「ソト」が生きている
pixabay

    日本は「ウチ」と「ソト」を厳しく区分する村社会であり、集団社会だ。21世紀になって世の中が多様化すると思われたが、30年前と比べてもそれほど変わっていない。むしろネット社会の発達によって、「ウチ」と「ソト」の区分や、集団社会化がより進んだようだ。その結果、「人と違うことを許さない」という偏った「正義感」が醸成され、現代社会は息苦しくなった。少し服装の雰囲気が違う人、言葉に訛りがある人、仕事のやり方が違う人、お昼を社食で食べない人、飲み会に行かない人、特殊な趣味の人などがいたら、すぐさま叩き合戦の始まりだ。何が良い、悪い、ではなく、ちょっとでも自分たちと違っていたら、もうダメなのだ。

 必要なことは、日常生活においても個人主義の考え方を取り入れ、偏った「正義感」を取り払うことではないか。マスコミは偏向して歪んだ「正義感」をもっていて、視聴者の無用な「他人叩き」を後押ししている。民主主義社会におけるマスコミは、本来は権力の監視役であって、有権者に多様な情報や視点を与えるのがその存在意義のはずだが、“他人を叩く”ことは、原価が安く、その割には視聴率が取れて、部数もはけて、ページビューも上がる、費用対効果の高いネタなのだ。

 また、フリーランスや週刊誌の記者の一部などを除けば、日本のジャーナリストは基本的に「雇われ人」。大新聞やテレビ局は待遇が恵まれているので、転職する人も少ない。だからこそ保守的な考えになり、権力者に対して厳しい追及は行わない。いわば公務員のようなもので、自己保身が何より重要。「権力者は叩かないほうが安全」という意識の下、権力の監視者にはなり得ていない。自ずと一般の人との視点はどんどんずれていき、自分のキャリアを潰さないような無難な報道や、立場の弱い人から無理やり情報を引き出してネタにするような悪質なニュースなど、本当に知りたい情報が見えにくくなっていく。

異質に寛容であれ

_知りたい情報が見えにくくなっていないだろうか photo-AC
知りたい情報が見えにくくなっていないだろうか
photo-AC

    ネットやSNSの普及で起こったのは、自己承認欲求の嵐。「私はこんなにすごい」「こんなに価値がある」とアピールすることに執着するようになってしまった。画面の向こう側にしかいなかった人たちが、電子的にではあってもつながってくれる。有名人を、まるで自分の同級生や近所の人のように身近に感じられるようになった。それと同時に、公開される情報が多ければ多いほど、庶民である自分の生活との落差が目に見えやすくなった。自然に嫉妬心や歪んだ「正義感」の堆積が進み、さらに他人を追い詰める社会になっているのではないだろうか。情報が可視化されたことで、自分と他人をより高頻度かつ多様性をもって比較してしまう。SNSがなかった時代であれば見える部分が少なかったのに、現在は子どもの学校のレベルから、乗っている車、使っている文房具まであらゆることがわかってしまう。「なぜ自分はこうではないのだろう」と、勝手に落ち込む。

 他人に高望みするから、「あれはだめだ」「これはだめだ」と叩きたくなる。他人に過度な期待をしてしまっているのだ。しかし、人間は最初から欲と不道徳にまみれた怠惰な存在なのだと思っていれば、期待することもないのではないか。そう考えれば、他人を叩く気も起こらなくなるというもの。細かいことにはこだわらず、大雑把に、大胆に生きていけば、他人のことなど気にならなくなる。“気を楽にもち、おおらかに、クヨクヨしない”。これは脳のリラックスにつながり、長生きの秘訣にもある。大雑把になることで個人もほかの人も幸福にし、国の富を増やすことにつながるというもの…。

「場」を共有する日本人

 日本の会社員は働き過ぎだといわれる。といって長時間、集中したままバリバリと働き続けている人は少数派だと、あなたも知っているだろう。働いているといっても、その実態は長時間の会議、長時間のダラダラ残業、長時間の打ち合わせの結果だ。つまり会社に長く居ることが、働き過ぎだといわれる主な原因なのだ。それは、実はお互いが同じ「場」を生きていることを確認するために、同じ時間を過ごすことが目的になっている。

 ビジネスの場でも私生活の場でも、日本ではその人の「資格」よりも「場」が重視されるといわれる。ここでいう“資格”とは技能や経験のことで、仕事のうえでは相手が「個人としてどんな人間か」といったこと。“場”は「どこに所属しているか」という意味だ。

 「場」の共有が何より重要なので、飲み会も大切にする。飲み会に出席してほかの社員や上司と同じ「雰囲気」を味わうことが、会社の構成員としての義務であり、拒否する人はどんな理由があっても「裏切り者」扱いだ。飲み会は日本人にとって、「場」を共有する仲間としてみんなの体験を積み上げていく重要な”儀式”になっている。社員旅行、上司の親族の葬式の手伝い、同僚の引越しの手伝い、といった行事ももちろん同じ。あくまで「場」を共有しようと思った意志や努力が重要であり、自分の予定を犠牲にして儀式に参加することが、「ウチ」の構成員としての踏み絵のようなものなのだ。

 学校も儀式や集団活動が多く、教員や保護者の負担は大変なものになっている。子どものころから行事を通じて同じ「場」を共有することで、「ウチ」の意識を形成する慣習は、大人になっても引き継がれていく。学校で体験したことを、会社や町内会、ママ友の集まりでも同じように繰り返していくのだ。

「場」を共有する日本人
新宮の御燈祭 © panpanzupan
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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