2024年05月10日( 金 )

経済小説「泥に咲く」(6)導かれた青年期

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 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

導かれた青年期

 松田の存在がやわらかな「重石」となって、勢事の高校生活は大禍なく過ぎた。大学受験では2つの大学に合格したものの、法学部じゃないことを理由に浪人の道を選んだ。法律を専攻した父方の祖父に憧れがあり、法学部に進むことに拘っていたのだ。

 しかし、予備校生活は仲間と酒を飲むばかりの日々となった。二年目は地元の私立大学の商学部にしか受からず、しかしもう一年、荒れた生活を続けるのも嫌で、しぶしぶ入学を決めた。

 そもそも何かを学ぶつもりなどない。大学の授業に期待はなかった。部活動は吟道部に所属することにした。病弱だった少年時代、叔母の勧めもあって、週末は近くの道場に剣舞、詩吟、居合の稽古に通った。とくに詩吟は小学六年生で師範免許を取得した腕前だ。だから大学の部活では、それほど学ぶこともなく刺激は薄かった。

 熱を入れたのは「常任幹事会」だ。大学には学術文化常任幹事会と体育会常任幹事会があって、勢事は前者に所属した。部活やサークルを束ねる組織なのだが、それは表の顔であって、実際は左翼運動を取り締まる集団だった。嵐はおさまったとはいえ、学生運動の残り火は、大学構内のそこここでくすぶっていた時代だった。

 定期的に開かれる幹事会で、各部、サークルの幹事に活動報告をさせて、催される行事を見に行く──つまり検閲に行くのが主な仕事だった。常任幹事会のユニフォームである学ランを着て現場に姿を見せると、「おい、ジョーカン(常幹)がきたぜ」とひそひそ呟かれる。言わば権力の側で偉そうに振る舞えることが、勢事にとって「ごっこ」のようでおもしろかった。

 そして、そんな「遊び」を飽きずに続けられたのは、金が動かせたからだ。ただでさえ、常任幹事会には大学からの活動予算がつく。さらに担当する行事の予算を水増しで請求して、くすねた金を中洲での飲み代に使った。このとき、酒を奢る、あるいは金を渡すことで、人を動かすことができることを知った。人は思ったより簡単に、金で動く。裏金のつくり方と使い方を学んだのである。

 すでに左翼運動は下火になっていたが、勢事は一度だけ騒動に巻き込まれたことがあった。校舎を出ようとしたとき、左翼学生の一団に囲まれたのである。

「なんだ、お前らは!」

 張り上げた大声は虚しく響き、角材での一撃であばらの骨を折られてしまった。ただ、「予算を飲み代に使ったつけが、こんなかたちで回ってきたんだな」と妙に納得した勢事は、この一件をどこにも報告しなかった。

 母の朝子は勢事が小学校六年生のときにクラブを辞めて、中洲のビルの一階にスナック『パイロン』をオープンした。この店が繁盛した。朝子の営業力はオーナーとなってから、さらに磨きがかかった。

 勢事が大学に入るころ、「これからは天神の時代だから」と、福岡最大の商業地区である天神エリアの大名という土地に店を移転する。ここも、たちまち繁盛店となった。

 勢事はボーイとして、よく店を手伝った。客受けもよく、朝子の信頼も厚くなっていたので、ぼんやりとではあったが、「このまま店を継ぐことになるのだろう」と思っていた。

 店の片付けをしていたときのことだ。勢事は何気なく、「俺、この店、やろうかな」とつぶやいた。途端、朝子の表情が険しくなった。

「あんた、なんてこと言うとね。水商売は男がするもんじゃないよ」
「なんでよ。いいやん。男にだってできるやろ」

 朝子は「これだから仕方ない」といった風情で大きくため息をついて、拭いていたグラスをカウンターに置き、勢事とまっすぐに向き合った。

「いいね、勢事。男にはね、貸し借りがあるとよ」

 声に迫力があって、だから勢事はただ黙ってうなずいた。

「私たち女はね、たとえこの歳になっても、男の人に御馳走してもらったら『おいしかった。ありがとう』で済まされるやろ。でも、男はそうじゃない。借りたら、返さないかん。してもらったら、してあげないかん。あんた、それで水商売ができるね?」

 朝子の言葉は平易だったが、この世界に長く身を浸してきた人間だけが持つ説得力があった。

「それにね、勢ちゃん。この店一軒、一所懸命にがんばってもさ、とうてい松田のおじさんみたいな生き方はできんよ。あんたもさ、男やろ。金を稼いで、それなりの地位もつくらないかん。そうやろ?」

 松田の名前を出されると、勢事は弱い。

「わかった。店を継ぐやら、もう2度と言わんけん」

 朝子は満足そうにうなずいた。水商売には手を出さない。これが勢事の、1つの信条となった。

 大学の卒業が近づいてくるころ、勢事は松田に声をかけられた。

「勢ちゃんは、就職は決まったの?」
「まだなんです。なんとなくだけど商社マンに憧れてて」
「ああ、そうね。それはよかね。じゃあ、おじさんの知っている商社はどうかいな。いい会社だよ。話しておくから、面接を受けに行くようにね」

 地元では指折りの老舗企業グループに、松田に勧められた通りに赴くと、面接官が開口一番、「君か、松田建設さんの推薦は」と言って、その後はとんとん拍子に入社が決まった。勢事はこの時初めて松田の力の大きさを知った。

 長崎営業所に配属された勢事は、しばしばその尊大な態度を叱責された。

「岡倉、お前のような奴のことを、なんと呼ぶか、知ってるか」
「わかりません」
「慇懃無礼と言うんだよ」

 甘やかされて育った勢事には、上の機嫌を取るということができなかった。もっと言えば、サラリーマンの決まり事や組織の論理がばかばかしく思えたのだ。それが態度に出る。叱責を受ける。その叱責に納得していないことが、また態度に出る。

「岡倉、そろそろ機嫌直せや。うどんでも食いに行くか?」
「いや、俺はラーメンがよいです」

 これで上司との関係がうまくいくはずがない。一方で企業グループの役員クラスと同行するときには胸が躍るような話を耳にすることができる。

「ヴェトナムで新しいエネルギーが開発されていて……」
「ブラジルに信じられないくらい割のいい投資案件があるんだが……」

 商社ならではのダイナミックな仕事は勢事を魅了した。気がつけば、入社から3年の月日が流れていた。

 退職のきっかけはグループが保有する病院で、リハビリの現場を見たことだ。「これだ」と思った。そのころ、ようやくリハビリという言葉が一般化しようとしていた。

 調べると、川崎の専門学校が学費も安く、アルバイト代で何とかまかなえそうだった。ただし、意外にも合格率が低い。勢事は松田に、これからの方針を話した。自分が紹介した会社を辞めるという勢事を、松田は一切、否定することはなかった。それどころか、終始、

「うんうん、そうかそうか」と温和な笑顔で話を聞いてくれて、最後に「わかった。心配しなくていいからね」と言ってうなずいた。

 試験当日、面接の順番を待っていると、事務局長から直接、呼ばれた。

「ああ、岡倉君、君だね、私学振興協会から推薦がきているのは」

 何かのサポートはあるのだろうと思っていたが、勢事もこれには驚いた。松田の影響力は、いったいどこまでおよぶのだろうか、と。

 それからさらに3年後、専門学校の卒業が近づいてきたときに、勢事は松田に呼び出される。

「勢ちゃん、それで病院は決まったの?」
「いえ、それがまだなんです」
「おじさんの知り合いにね、大学病院の院長をしている脳外科の先生がいるから、彼に紹介してもらうといいよ」

 松田の言葉通り、勢事の就職先は福岡市内の病院にすんなりと決まった。

 青年期の勢事の人生は、すべからく「母の恋人」である松田の人脈と政治力によって導かれたのであった。

(つづく)

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