2024年05月14日( 火 )

経済小説「泥に咲く」(21)病院再生

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 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

病院再生

「岡倉さん、徳山ホスピタル、あなたに差し上げます」

 下関の鮨屋で、船越はうれしそうにそう言った。どこまで尊大な男なんだと、勢事は鼻白む思いがした。

「いやあ、私には無理ですよ」
「だって、竹島くん、がんばってるじゃないですか。経営もずいぶんよくなってきているし」

 徳山ホスピタルには累積の赤字が少なくとも3億円はあったし、竹島の的確な対策によって、状態は改善しつつあったが、単月黒字には達していなかった。しかも、経年劣化も激しく、施設は老朽化している。経営改革を激しく進めたため、スタッフからの抵抗もあった。このまま経営が波に乗るかは五分五分、いやもっと確率は低いというのが勢事の冷静な読みだった。

 一方で、いっそ自分たちの経営にして、真剣に再生を実現してみたいという思いもあった。ダメならば絞り尽くした後に捨てればいい。そんな打算もあった。

「船越さんはどうするんですか」
「私は下関の病院だけに専念するつもりです」

 要は赤字部門を勢事もろとも切り離したいわけだ。その魂胆は見え見えだったが、だったらこの構図に乗ってみようじゃないか、と勢事は決心した。

「ちょっと失礼」

 勢事はトイレに行くのを装って、竹島に電話をかけ、船越からの提案を伝えた。

「どう思う。再生はできるか」
「う―ん、やれるとは思いますが、簡単ではありませんよ」

 この回答に、勢事は竹島への信用を深めた。

 簡単に「できる、できる」という人間は信用できない。むしろ、できないことははっきりと「できない」と答えるべきだ。逆に言えば「できる」と預かった事案には、必ず何らかの結果を出してくれる人物だけが信用に足る。

 口ではなんとでもいえる。言っていることと、やっていることが呼応している人、つまり言行一致している人は、ほんのわずかしかいない。本当は「不言実行」が当たり前。もちろん、「有言実行」ならば、まだいい。それですら、できる人は限られているのが実情であり、竹島はその希少な人材の1人だった。

 「今の改革を推し進めれば、光明はあります。ただ、それにともなって人はずいぶん入れ替わるでしょう。ついてくることができない人間は、私が切ります」

 勢事は「よくわかった。ありがとう」と言って電話を切り、席に戻るときにはすでに腹を決めていた。

「船越さん、このお話、ありがたくお受けします。徳山ホスピタルは私と竹島で必ず立て直します」

 2人は腹のなかの真意を互いに隠しながら、満面の笑みで握手を交わすのだった。

 ようやく動き出した勢事のビジネスは、しかし船出からつまずいた。院長の赤星が辞めると言い出しのだ。

「岡倉さんたちのやり方は急進的過ぎます」
「しかし、実際、赤字経営なんだから、抜本的な改革は不可欠でしょう」
「改革の必要性は理解しています。でも、竹島さんは話を聞こうともせず、頭ごなしに否定、否定、否定。こっちにも言い分があるんだ」
「じゃあ、これからは赤星院長の方針も取り入れていきますので……」

 赤星はフンと鼻で笑った。

「岡倉さんに私を重用する気がないことくらい、よくわかっています。それにね、これは復讐でもあるんです」
「復讐?」
「あなたと竹島さん、この病院を食い物にしようとしているだけでしょう」
「何を言う。こんな赤字病院を引き取って、再生に乗り出しているのに」
「そうかもしれない。でも、それも所詮、自分たちがうまい汁を吸いたいからでしょう。スタッフのことなんて、ちっとも考えてやしない」

 物事を分析する目はもっているのだなと、勢事は妙なところで感心していた。

「看護師たちも辞めますよ。私と一緒に別の病院に移ります。さあ、どうです。それでも経営が続けられますか」
「赤星先生、わかりました。ご心配、ありがとうございます。この先、どうなっていくのか。その目でしっかりと見届けてください」

 勢事は先に立ち上がり、「早く出て行け」とでも言うように、ドアのほうへ右手を差し出した。

「どんな顛末になるのか。楽しみにしていますよ。それでは」

 赤星は不敵な笑いを浮かべて、部屋を出て行った。なかなか肚の座った男だ。手放すのは惜しかったかもしれない。そう考えた次の瞬間、勢事は赤星の存在を忘れた。そもそも赤星の背反など、勢事にとっては想定の範囲内の出来事だった。人間関係、とくに上司と部下の関係は、基本、面従腹背だと考えているからだ。

 人間にはあまり期待しすぎない、というのが勢事の信条である。人は性悪説で見るべきであって、その基本は自己保身と我欲だ。赤星も自己都合という人間の原理原則で行動しただけであり、そこを責めても仕方がない。

 人間は我が道を歩いて当たり前なのに、とくにリーダーは相手に期待し過ぎてしまうから裏切られたと感じるのだ。リーダーのために生きる他人などいない。誰もが自分のために生きる。それが勢事にとってのリアルだ。「機会を与え教えてあげたのに」と地団駄踏む人間が「逆恨みの間抜け」なのである。メロスは来ない。それが人間なのだ。

 人間不信と性悪説を、人間の見方、分析の基本としている勢事にとって、赤星の行動を恨む理由はない。穴を埋めるのに手数はかかるが、それは経営改革の結果でもあり、致し方ないことだ。

 それに、勢事にとっては「これくらいのピンチならば、必ず切り抜けられる」という確信があったし、そのためのコツを知っていた。それは「厳しい状況を他人事として客観的に洞察し、なぜそうなったのかを考え、手を打つ」ことだ。

 今のままではダメなのだから、洞察と行動を繰り返し、行動する。このとき、やけくそに当たり散らすことだけは絶対に避けなければならない。逆境だからこそ、柔らかく、にこにこしていることが大切だ。

 以前、ヤクザの親分に教えられたことがある。

「岡ちゃん、人間はね、『明るく、真面目に、一生懸命にやる』こと。これだけでいい。やっていることが善いことか、悪いことかは関係ない、とにかく明るく、真面目に、一生懸命にやると結果が出る」

 けだし名言と感心した。善悪の違いは、価値観や都合に左右されるのでアテにならない。善悪よりも、人の姿勢が物事の可否に影響するというわけだ。明るく、真面目に、一生懸命にやる。なかでも勢事が最も大切にしているのが「明るく」という部分である。塞ぎ込んだら終わり。八方塞がりと思われても、明るささえ失わなければ、必ず潜り抜けることができるものだ。

 たとえ誰もが見捨てる状況になっても、自分だけは自分を見捨てないこと。腐ってはいけない。自分を助けてくれるのは、自分だけ。これは勢事が辿り着いた、1つの真理だった。

 もう1つ、ピンチに陥ったとき、「このケースは、時間が味方なのか、場所が味方なのか、特定の人が味方なのか」と考えるのも、勢事が自ら身につけた処世術だった。何が味方で、何が敵なのかを整理しながら少しずつ進むと、必ず小さな光が見出せるものである。

 じゃあ、今回のケースは何が味方なのか。勢事の頭のなかには、ある人物の顔が浮かんでいた。彼は大病院の院長だ。

 勢事は付き合いのある人を「友人」「知り合い」「ギャラリー」に三分類して考えていた。さらに「友人」は「切っても切れない友人」と「好きな友人」に分ける。切っても切れない友人とは利害関係が共通していて、一緒に闘っている友人であり、最も大切にすべき相手だ。別格だから、必然的に少人数になる。

 知り合いは読んで字のごとくで、ギャラリーは「その他大勢」だ。このギャラリーは付和雷同するネズミであり、世の中を構成している人間の大半を占める。彼らは自分の人生を生きる人の「餌」だ。つまりその人たちに食われるしかない。つまり、知人やギャラリーは勢事にとって、どうでもいい人間か、餌かのどちらかだった。

 この世を生き抜くための盤石な力をもつためには、人、物、金の三種の神器が必要だ。なかでも、何をおいても「人」が大切。ここでいう人とは「信頼できる有力な友人」のことだ。知り合いでもギャラリーでもなく、有力な親しい友人しかない。

 人生を組み立てるうえで最も重要なのは、この有力な友人たちで形成された、互いに協力できる仲間たちである。だからこそ、親しい友人は特別扱いすべきだ。極端に言えば、利害関係が一致する友人、仲間だけを大切にすればいい。これは渡世を生き残る重要なテーマである。依怙贔屓と言われるくらいに大事にする。単に甘やかすわけではない。運命共同体として、徹底的に守るということだ。

 勢事にとって院長はそうした数少ない有力な友人の1人だったし、だから大切に遇してきた。院長に電話を掛け事情を話すと、すぐに医師を手配してくれることになった。

「岡倉さん、とりあえず13人の若手を入れ替わり立ち替わりそっちに送るから。ただね、これは急場しのぎに過ぎないからね。徳山ホスピタルを立て直すには、エースが必要。ピカピカしたエースがね」

 それは極めて正確な洞察だった。勢事もそう考えていたし、実際に動いてもいた。ただ、そのカードをこの場面で使うべきかどうかの判断がつかなかったのだ。

(つづく)

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