2024年04月30日( 火 )

経済小説「泥に咲く」(27)人間万事塞翁が馬

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 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

人間万事塞翁が馬

 徳山ホスピタルのV字回復によって、勢事のもとには病院の良質なM&A情報が入ってくるようになった。

 六十年以上の歴史を持つ福岡市内の精神科病院が売りに出ているという話は、近しい知人からもたらされた。確かに「跡取り」はいなかったと記憶しているが、しかし、規模的にいっても、勢事が勝ち取れる案件だとは思えなかった。

「まあ、いいじゃない。結果がどうあれ、一度、院長に会ってみればいい」

 知人の軽いテンションに思わず頷くと、翌週にはオーナーである院長に挨拶に行く段取りになっていた。武之内院長は95歳だが、頭脳は明晰、矍鑠としていた。

「岡倉君、君はこれまで何をやってきたの?」
「私、以前はこんな施設を運営していまして……」
 勢事は武之内院長が教育に興味があることを事前に調べていて、智徳学園に関する新聞記事を用意していたのだ。

「ほう、発達障がいの子どもたちをねえ」

 院長室に入って、ソファに座るまで、勢事の心の目には武之内院長が身につけている硬い鎧が見えた。しかし、障がい児たちの記事を読むにつれ、1つ、また1つと、甲冑のパーツが外れていく。

「なるほど、岡倉君、あなたという人間を、ぼくは知りたいと思う」
「ありがとうございます」
「岡倉君、世の中には失敬な輩がいてね」
「はい」
「ぼくが金で動くとくらい思っているんだ」

 勢事は黙ってうなずいたが、心のなかで「そうか、金では動かない人なのか……」と思案をめぐらせていた。だとしたら、自分たちにもチャンスがあるかもしれない。一方で、どうすれば武之内院長の心を動かすことができるのか、道筋が見えないのもまた事実だった。

「20億でどうでしょうか、30億でどうでしょうか、とぼくの顔色をうかがってくる」

 出せてもせいぜい10億と考えていた勢事にとって、資金力では競合にまったく太刀打ちできないことがわかった。ただ、金額が決め手にならないという点では朗報だ。

「ぼくにはそんな金は必要ない。この病院の理念をしっかりと理解し、継続し、かつ発展させられる人物に託したい。それだけなんだ。あなたがそれに値する人間かどうか、ぼくなりに判断したい。それでいいかね」
「はい、院長。ありがとうございます」

 懇意にしている有力者から、勢事に電話があったのは翌日のことだ。

「武之内先生、俺のところにきたぜ」
「それで?」
「岡倉勢事はどんな人間かと聞かれた」
「もちろん……」
「ああ、あいつは信用に足る、立派な人格をもった人間だって言っておいたよ。根掘り、葉掘りってのは、ああいうことをいうんだな。一時間半、おまえの質問ばっかりだったぞ」
「そうでしたか。ありがとうございます」

 翌日もその有力者から電話がかかってくる。

「岡倉、武之内先生、また来たぞ。おまえが信用できる人間なのか、裏を取りたいって。もう、いい加減にしてくれよ」
「すみません。大変でしょうが、病院の買収がかかっていますので、対応をお願いします」
「岡倉、武之内先生はほかの人にもおまえのこと聞いてまわっているようだぞ。メッキが剥がれなきゃいいけどな」

 2週間後、勢事は武之内院長に呼ばれた。

「岡倉君、ぼくは君のことを3人の人物に尋ねた。1人は経営者、2人は医師。皆さん、あなたのことを評価していました」

 医師の名前を聞いて、勢事はほっと胸を撫でおろした。有力な医師たちの間では常に勢力争いがあり、勢事をよく思っていない人物や、あからさまに敵対の意を見せる者もいた。しかし、武之内院長が勢事の情報を引き出した医者2人は、たまたま勢事のシンパサイザーだったのだ。智徳学園に共感をもってもらえたことといい、やはり俺は引きが強いと、勢事は改めて思うのだった。

 勢事が後継者として見込まれたときから、武之内院長の「講義」は始まった。勢事のオフィスに高岡と竹島も呼び、週に1回、3時間にわたる武之内院長の思想、人生哲学に関するレクチャーが、実に1年もの間、続いたのである。決して楽なものではなかったが、しかし、この間に高岡は確実に武之内院長の心をつかんだ。

 それでも、契約書は武之内院長と勢事が締結するかたちになっていた。

「武之内院長、私は医者じゃありませんから」
「わかっているが、ぼくはあなたと契約するのだから」

 もちろん現場は高岡に任せることで合意ができていたが、そこは武之内院長が譲らない点であった。合意した金額は10億円に満たない金額だった。勢事は院長が言っていた競合の提示金額を調査して、それが真実だと確認していたので、院長の「金で動かない」という信条は本物だと、改めて感心した。

 病院の経営改革は順調に進んだ。精神科であっても、慢性期から急性期への以降という基本の方向性は同じである。ただ、精神科で早期の退院を促す場合、患者とその家族に「その後の安心」を提供する必要がある。そのための方策の1つが就労支援事業の運営だった。

 退院後、再度の発症の心配がある場合は自宅療養が基本だが、家から出られない場合はデイケアを含めた訪問看護や定期的な経過観察を継続する。そうして状況を見極めながら、段階的に就労支援と移行させていくのだ。

 企業側のケアにも力を入れた。雇用したいという思いはあっても、「トラブルが生じたときに対応できるのか」「どれくらいの作業を任せていいのか」といった不安がある。企業の担当者との連携を密にすることで、就労の実績を積み重ね、「退院後も手厚くサポートしてくれる」という評判が広がり、患者数が増加していった。

 高岡は徳山ホスピタルでそうしたように、スタッフ1人ひとりと対話を重ね、「なぜ医療に携わるのか」「何を理想とし、そのためにどう行動するのか」を共有していった。そのビジュアルの良さから、一見、派手に見える高岡の経営手法はスタンダードで地道なものであった。勢事はその点を高く評価していた。

 それにしても、と勢事は思う。立身のために始めた障がい者事業が、こうして病院の買収につながり、それがまた病人や障がい者といった弱者の救済につながっている。自立のために、必要な金を稼ぐという勢事の欲望に沿った行動は、なぜか慈善という結果をもたらすのだ。これは自分が背負う業なのかもしれない。徹底したリアリストである勢事はしかし、「だとしたら、その大いなる力に身を任せるしかない」とも思うのだった。

(つづく)

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