2024年10月15日( 火 )

ノストラダムスが残したのは予言ビジネスだけではない

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 NetIB-Newsでは、「未来トレンド分析シリーズ」の連載でもお馴染みの国際政治経済学者の浜田和幸氏のメルマガ「浜田和幸の世界最新トレンドとビジネスチャンス」の記事を紹介する。
 今回は、9月13日付の記事を紹介する。

占星術 イメージ    先の読めない昨今ですが、今でも未来を予言する才能に関してはほかを寄せ付けない輝きを発している人物といえばノストラダムスです。

 彼が生まれたのは南フランスで、コロンブスがアメリカ大陸を発見してから11年目の1503年12月14日のことでした。

 父親はユダヤ教徒で司法書士でしたが、後にカトリックに改宗。祖父は共に学者で、1人は医師、もう1人は多言語の教師であり、幼いころから学問指導を受けて育ったのがノストラダムスです。

 14歳でアビントン大学に入り、宗教学を学びましたが、カトリックの教師と常に対立。その後、モントペリア大学で医学と占星術を学んだといいます。

 1522年に卒業すると、医師としてフランス各地を転々としました。当時のフランスでは伝染病のペストが蔓延していましたが、有効な治療薬はなく、血を抜く瀉血が流行っていたそうです。

 そんな時代背景の下、ノストラダムスは空気と水を浄化することや、低脂肪食を広める活動にまい進しました。さらにはハーブ療法にも取り組み、とくにビタミンCの豊富なバラの実を生かした健康法を広めたのです。1529年にはモントペリア大学から医学博士号を授けられました。

 その後、1544年、再びペストが南フランスで流行します。その際にも彼の治療で多くの著名人が命を救われたとのこと。

 そうした経験を踏まえ、1550年から1565年まで毎年、暦を出版しました。それは占星術をベースにしており、翌年の天候や自然界の動きを正確に予測したため、とくに農民からは高い評価を得ましたが、一般大衆からも人気を博したものです。

 その流れで、彼は後に「予言の書」となる多言語を駆使した4行詩を世に問うことになります。予言集は10巻におよび、1,000近い4行詩を収録し、そこには3797年までの2000年先までの予言が散りばめられていました。

 医師の資格をもちながら、薬剤師でもあったノストラダムスです。いわば、医療と美容ビジネスの元祖ともいえます。というのも、彼はフランスやイタリアをめぐり歩きながら、髪染め液、歯磨き粉、下剤など、数多くの新商品を開発したからです。

 何と、化粧品やスキンクリームに止まらず、現代版バイアグラと見られるラブローションまでも商品化しています。と同時に予言能力が急速に開花した模様です。

 1554年、マルセイユに移住したのですが、そこでも疫病が蔓延したため、彼は1人で治療と予防に奔走しました。1555年、ノストラダムスは今日まで話題となってやまない予言書を出版。1556年、彼はあの世に旅立ったのですが、息子らは父親の残した予言でビジネスを始めるのです。

 当然の如く、勝手な解釈や捏造も頻繁に起きました。ノストラダムスの予言は歴史に基づく純粋な警告の書だったのでしょうが、息子や後世の金儲け主義への遺産となったことは否定できません。

 数多くの書籍、映画、ビデオ、音楽、CDなどが世界中で販売され、日本でも大ベストセラーになりました。

 しかし、ノストラダムス本人曰く「自分の予言の真意は2055年まで分からないだろう」。言い換えれば、彼の書き残した「大予言」は500年後にならなければ、その真偽のほどは判明しないだろうと言っているのです。

 ロンドンの大火、フランス革命、ヒトラーの台頭、第2次大戦、広島、長崎への原爆投下、ケネディ暗殺、ダイアナ妃事故死、マザーテレサの死等々、多くの予言が現実化しているとの指摘もあります。とはいえ、ノストラダムス本人は「気をつけなさい。予言に騙されないように。自分で考え、自分で判断することが大事」と警告しているのです。


著者:浜田和幸
【Blog】http://ameblo.jp/hamada-kazuyuki
【Homepage】http://www.hamadakazuyuki.com
【Facebook】https://www.facebook.com/Dr.hamadakazuyuki
【Twitter】https://twitter.com/hamada_kazuyuki

関連キーワード

関連記事