2024年04月27日( 土 )

【凡学一生のやさしい法律学】有名芸能人の政治的発言(2)

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日本の選挙は知名度中心の「人気投票」

 芸能人出身の国会議員には一定の法則がある。決して全盛期に政治家に転身した例はない。このことは国会議員の地位が、芸能人の全盛期の収入に代わると見なされた結果であると推定できる。実に正直な転身である。そのため、政治的信条などはほぼ持たないが、何も発言しなければ集票力が衰えることはない。選挙のときのみ、人寄せパンダになりきり、「引っ張りだこ」となる。蓄えた知名度を武器にして、議員の地位を維持しているのだ。

 このことは、日本の選挙が知名度中心の人気投票であるという一面を物語っている。このような選挙の実態に嫌気が差している人々は投票所に行かない。「棄権」と表現され、権利を放棄して義務を履行しない悪い行動、反社会性のある行動かのように見られる風潮があるが、何も知らずに人気投票と同じように投票する人の方が、よほど罪づくりである。

 政治の実態を知ろうともせず、世の風潮に従ってただ人気投票をすることは、社会改革の芽を摘んでしまう。社会改革への希望を1票に託しても人気投票による票数が常にそれを上回るため、社会改革の希望をもった投票は常に「死に票」となる。何も知らず、何も考えていない無責任な自分の投票が、社会改革の思いを必死に込めた1票を死に票としているなど、誰も夢にも思っていない。

 投票の秘密の保障によって、投票行動の実態、とくにその政治意識の存在の有無は推察の域を出ない。しかし、筆者は以前にある老婆が誰に投票していいかわからないから投票に行って白票を投じたという報道を見た。それまで、一定数の白票がある理由が不明であったが、「なるほど」と合点がゆくと同時に強い衝撃を受けた。投票は国民の義務であるとの教育を受ける一方で、投票に必要な情報提供と教育がまったく行われてこなかった証拠の1つが「意味不明の白票」だからである。投票に必要な情報提供と教育こそが民主主義の根幹であり、それを欠いた投票が人気投票となることは必然である。

主権者が政治的意見を表明できる機会を保障

 小泉氏の一連の事件は民主主義の政治制度の重大な欠陥の存在を示唆している。主権者である国民が政治に意見を表明する機会が4年に1度、または3年に1度の国会議員選挙の機会しかなく、加えて選挙に必要な情報と教育による知見は、政権政党による故意の教科書内容の統制によって、国民がもってない。

 主権者の政治的見解を表明できる機会が3年、または4年に1度という現状には、それなりに理由があるため、主権者が政治的意見を個別的に表明できる機会を保障することが必要である。具体的に言うと、主権者が個別に三権の執行者に対して解任請求できる制度を設置することである。

 たとえば、不当判決の裁判官(制度的には終審裁判所の裁判官となる)に対する解職請求制度である。一定数の国民(50人程度まで)が請求人(原告という表現は裁判と誤解される)となり、完全な無作為抽出の一般国民のみからなる審査会(審査委員は20名程度まで)で解職請求の当否を審査する制度である。

(つづく)

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