2024年04月19日( 金 )

豊富な地域資源の活用で再興を図る大牟田市の未来は――(3)

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戦後復興を支えた石炭もやがて役割を終える…

 終戦後、日本政府は経済復興のために46年から翌47年にかけて、石炭と鉄鋼の増産を優先する経済政策「傾斜生産方式」を推進。三池炭鉱でも多くの石炭を掘り出すために優先的に予算が付けられ、労働者にも好待遇が与えられた。その結果、戦地からの引揚者や働く場を求める人が各地から集まり、47年には炭鉱従事者の数は2万5,000人以上になり、46年に144万tにまで落ち込んでいた出炭量も、49年には200万tを超えるまでに回復したとされている。

 その一方で、戦後の食糧難を打開するために化学肥料の増産にも力が入れられ、大牟田市内の化学工場でも生産再開に向けた動きを開始。各工場は、戦前からのノウハウと高度な技術を生かし、肥料や合成染料、医薬品、農薬などの製品の製造に努めるとともに、新製品の開発にも注力していった。こうしてエネルギー源となった三池炭鉱の石炭をはじめ、その増産を支えるための機械・金属・発電事業などの大牟田市の鉱工業が、日本の戦後復興を推進する原動力となった。

 空襲で被災した松屋デパートも再開をはたし、54年には新たに3階建てを増築して売場を拡張。翌55年には銀座通りアーケードが完成し、松屋デパートを核とした雨天時も濡れずに買い物ができる商店街の誕生で、まちは大いににぎわった。57年には市制40周年と石炭発見500年、三井三池炭鉱創業70年を記念した「大牟田産業科学大博覧会」が開催。会場には石炭科学館をはじめ、多くのパビリオンが設置され、各地から延べ60万人を超える来場者を集めた。59年には、大牟田市の人口は最多となる20万8,887人を達成。まさにこのときが、大牟田市が最もにぎわっていた時期だった。

 70年には西鉄の栄町駅が新栄町駅として移転・開業し、駅前の紡績工場跡地には市内2つ目の百貨店として「久留米井筒屋大牟田店」(大牟田井筒屋)ができたほか、ユニードなどの大型店が次々に開業して新栄町商店街を形成。松屋デパートを中核とする銀座通りと競い合うかのように、中心市街地に人を呼びこんで活気を創出していった。
 こうして我が世の春を謳歌するかのように繁栄の絶頂期を迎えていた大牟田市だが、その一方で暗い影も忍び寄りつつあった。

三池炭鉱の歴史を今に伝える「石炭産業科学館」

 50年代から60年代にかけてのエネルギー革命によって、世界の主要なエネルギーは石炭から石油への転換が進行していった。また、残る石炭への需要も、コストの高い国内産から安い外国産のものへとシフトしていったため、日本政府は条件の悪い炭鉱を閉鎖して優良炭鉱だけを保護・存続させる「スクラップ・アンド・ビルド政策」を実施。これにより、筑豊などの中小炭鉱では多くが閉山に追い込まれた。

 一方、三池炭鉱は石炭層が厚くて断層が少なく、海に向かって緩やかな傾斜で続いていることから生産効率向上のための採炭現場の大型化や機械化を行いやすく、「ビルド炭鉱」として存続することが決定。しかし、それでも生産コストを下げるために、従事者の数を減らしていくことは避けられなかった。それにともない生産年齢人口の市外への流出が増加し、大牟田市の人口も最盛期の59年以降は右肩下がりで推移。人口の減少とともに、次第にまちの活気も失われていった。

 その後、採掘した石炭を電力会社やセメント会社などに引き取ってもらうことで、何とか生き残ってきた三池炭鉱だったが、圧倒的に安い海外産の輸入石炭との競争にやがて太刀打ちできなくなっていった。また、日本政府による石炭政策も、海外産との価格差の拡大を受けて国内での石炭生産を大幅に減らす方向へと舵を切り、電力会社による国内産の石炭の引き取りを2001年度で打ち切ることを決定した。
 この政策決定を受けて、97年3月30日をもって三池炭鉱は閉山。官営三池炭鉱から数えて124年の歴史に幕を下ろした。この期間に掘り出された石炭の総量は、約2億9,000万tとされている。

(つづく)

【坂田 憲治】

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