2024年04月19日( 金 )

【流水型ダムを考える】蒲島知事も私たちも「無罪」ではない(中)

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前熊本市長 幸山 政史 氏

 蒲島郁夫熊本県知事は2020年11月20日、赤羽一嘉国土交通大臣と面会。既存の川辺川ダム計画を廃止し、新たに流水型ダム(穴あきダム)を建設する旨、要望した。12年前のダム白紙撤回から一転、真逆の政策判断を下したことになる。「君子は豹変す」という言葉が示すように、意見をガラリと変えること自体は問題ではない。問題があるとすれば、自ら下した判断にどう向き合うかにある。この点、蒲島知事は、いずれの判断も「民意によるもの」だとして、過ちを改めるどころか、過去の自分を擁護するような姿勢をとり続けているように見える。この蒲島知事の姿勢について「民意をタテにした保身」と批判するのが、過去に2回、熊本県知事選を戦った前熊本市長・幸山政史氏だ。流水型ダム要望にはどのようなウラがあったのか。蒲島知事、熊本県政が抱える問題点などを含め、話を聞いた。

今さら感ある「命と環境の両立」

 ――最近になっても、白紙撤回したのは「最良の判断だった」といっていました。「過ち」とは思っていないようですね。

 幸山 前回の取材でも申し上げましたが、彼の矛盾した発言のなかで、私が一番引っかかっているのは、水害発災直後の「ダム計画白紙撤回は当時の民意によるものだった」という発言です。それが政治判断なのか、民意を反映したものなのかを明確に区別することはできないかもしれませんが、私は今でも、彼の12年前の判断は明らかに政治的なものだったと思っています。

 たしかに当時、「清流川辺川を守れ」という空気が濃かったのは事実ですが、川辺川ダム建設を望む声も、県議会、市町村長、住民のなかに少なからずあったわけですから。ダムを建設するかどうか、その間でみんな悩んでいたんですよ。

10月の球磨川豪雨検証委員会後、記者の質問に答える蒲島知事
10月の球磨川豪雨検証委員会後、記者の質問に答える蒲島知事

 蒲島知事は流水型ダムを要望する表明のなかで、「今の民意は命と環境の両立を求めている」と発言しました。これを聞いたときには、「ちょっと待て!何を今さら」と思いましたね。ダム建設予定地であった五木村を含む流域住民は、今ごろになって命と環境の両立を求めるようになったのではなく、1966年にダム計画が持ち上がって以降、ずっとこれらをどう両立させるかで悩み続けてきたのです。それは12年前も変わらない。

 当初は、ダムに水没する五木村の生活環境をどう守るかが焦点だったと思います。それが、五木村が苦渋の決断をしたころから、自然環境をどう守るかという話に変わり、これまで悩み続けてきたのです。

 ――蒲島知事はなぜ、そこまでして民意にすがるのでしょうか。

 幸山 責任逃れでしょう。この12年間、ダムによらない治水を掲げながらも、それに代わる対策ができなかったことに対しての責任逃れ。私にはそうとしか思えません。彼が民意を口にするのは、責任問題という火の粉が、自分に飛んでこないようにするためでしょう。前回の取材でもいいましたが、「民意をタテにするな」といいたいところです。逆にいえば、民意をタテにするしか、自分の過去の判断を正当化する方法がないのかもしれません。

 ――蒲島知事の論法でいくと、「結果的に誤った判断だったとしても、民意に基づくものだった場合は、責任を取らなくて良い」という、政治家にとって非常に好都合なことになりますね。

 幸山 私は、12年前のダムの白紙撤回は、蒲島知事の政治判断だったと思っています。その後、彼は、さまざまな場で自分の下した判断を誇るように何度もアピールしていたわけですから。民意に委ねたものなら、自ら誇るというのはおかしいでしょう。私は、白紙撤回の判断自体を責めるものではありませんが、政治家として、今の民意をタテにする姿勢は、とにかく「ズルい」し「無責任」と感じています。

 蒲島知事は、今回の水害によって、多くの方々が亡くなられた責任を本当に感じているのか。私にはそう思えない。4期目に入ってからというもの、「言葉の軽さ」が際立ってきています。選挙で負けた身として、私自身とても情けない思いです。その一方で、選挙を戦った意義を明らかにしなければとの使命感、戦った者としての責任感が、日に日に強くなっているところです。

(つづく)

【大石 恭正】


幸山 政史 氏<プロフィール>
幸山  政史
(こうやま・せいし)
1989年3月、九州大学経済学部卒業。同年4月日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)入社。95年4月熊本県議会議員に当選(2期)。2002年11月熊本市長に当選(3期)。16年3月熊本県知事選に出馬するも、蒲島氏に敗北。20年3月熊本県知事選に挑むも、再び蒲島氏の後塵を拝した。

(前)
(後)

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