2024年06月23日( 日 )

建築物「垂直と水平」の魔物【後編】(2)

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 アメリカの映画で出てくるような郊外のファミリーの間取りでは、小さな子どもに大きな個室を与えている家庭のシーンが多くある。彼らは子どものころから自立心が高く、公共性を早く身につけようとし、社会に対して自分の意見を発言するという意識を持つ国民性だ。日本人がもっている自立心と社会性の違いが、如実に表れている。

内と外をつなぐ窓の歴史

内と外をつなぐ窓の歴史 田川市石炭・歴史博物館の蔀戸
内と外をつなぐ窓の歴史 田川市石炭・歴史博物館の蔀戸

 ガラス窓は今では当たり前だが、もともとの日本の住宅にはガラスの入った窓がなく、すだれや御簾が家の内部と外部を仕切っていた。そして平安時代以降には、蔀(しとみ)といわれる格子を取り付けた板戸が窓のような役割をしていた。鎌倉時代に始まり、安土桃山時代に千利休によって完成したといわれる茶道の歩みにともない、窓が発展した。

 江戸時代初期には、安土桃山時代の茶室がさらに進化し、日本の木造住宅の基本となった数寄屋造りが生まれ、江戸時代以降は住宅として広まった。ここまでの日本の住宅は、家のなかと外を明確に分けない暮らし方に沿ってつくられてきた。気候の良い時期には自然を愛で、夏や冬の時期にはその厳しい寒さや暑さを生活の一環として受け止めるという四季の移り変わりに順応する考え方。日本の窓は、西洋の窓のように家を囲む壁に穴を開けるというものではなく、柱や梁の間にあるすべて開け放つことのできる間仕切りのようなものだったのだ。

 また、日本家屋の基本形態として深い屋根がある。大空間の窓で開くのではなく、深く下がった庇に切り取られた小さな景色を臨む。たとえば日本の坪庭で、北側に落ちる光は、南面に浴びた対象物の陰影を見る、それが日本的な美学だ。明治から大正にかけて、急速に国家の近代化が進み、西洋の建築方式が取り入れられるようになった。しかし、明治初期は国内で窓用のガラスをつくる技術がなかったため、富裕な人々の建てる建築物の窓だけに輸入ガラスが使われていた。明治後期から昭和にかけて、ようやく国内で窓ガラスがつくられるようになり、庶民の家でも障子がガラスに変わっていった。

 現代は、窓を開けられない生活だ。習慣化された間取りのなかでの暮らし。人はますます外に出られない生活に移ってきている。2023年7月の平均気温が7月としてはこの100年余りで最も高くなったという。とくに7月下旬は、38度を超える危険な暑さが続いた。湿度が高く、さらに室温が上がった部屋で長時間過ごすと体温調整が難しくなり、じわじわと熱中症の危険が高まる。とくに高齢者はその調整機能の衰えもあり、重症になりやすいという。危険な暑さが続いた7月末の1週間に、熱中症で病院に運ばれた人は全国で1万1,000人を超え、昨年の同じ時期と比べておよそ1.76倍となっているという。そのうち65歳以上の高齢者が全体の半数あまりになる。昔の暑さとは何かが違う。高齢者もその認識をすべきだ。

 西中洲のある一筋の小路。趣のたたずまいとは裏腹に、裏筋の小道は室外機の噴出口が通りに面して一斉に熱風を吐き出してくる。通行人はまるで洗車機に巻き取られていく車のごとく、熱波の渦に巻き込まれていく…。自分の住む家や、快適な居室、執務空間は快適な涼しさを保ち、一方、その冷気を生み出すためのエネルギーが外に噴き出される。私的な居室を冷やすために、外部環境への影響を忘れて都市を温め続ける「ヒートアイランド現象」は止まらない。昨今の異常なほどの暑さとは、人間の全熱交換というエゴが産み出した自業自得の妙だと考えるとつじつまが合う。

 ちなみに売上高9兆円を超えるイオングループは、日本全体の総電力の0.8%を消費しているという。気温の高い夏場には、ついつい冷やされた空間を求めて我々消費者は足しげく通ってしまう。自社でさまざまな対策を講じ、節電を推し進めているというが、日々お世話になっている使用者である以上は、他人ごとではないことも自覚しなければならない。

空間政策が手薄ではないか

 日本と同じ地震国イタリアでは、国の官庁である「市民保護局」が避難所の設営や生活支援を主導している。2009年4月のイタリア中部ラクイラ地震では、約6万3,000人が家を失った。この大被害に対してイタリア政府は、初動48時間以内に6人用のテント約3,000張(1万8,000人分)を完備し、最終的には同テント約6,000張(3万6,000人分)を行きわたらせた。ただし、実際にテントに避難したのは約2万8,000人である。それよりも多い約3万4,000人に割り当てられた避難所は、ホテルだった。もちろん宿泊費は、公費で支払われる。仮設の避難所や体育館よりも、ホテルで避難生活をする人が多いのだ。しかも、テントといってもキャンプ用のような簡易なものではなく、約10畳もの広さで電化されていて、エアコン付きの快適空間だったという(参考文献:『日本の死角』/現代ビジネス)。

避難所生活イメージ 日本財団公式HP
避難所生活イメージ 日本財団公式HP

    自然災害時の避難場所としては、床に毛布を敷いて大勢がひしめき合う体育館を思い浮かべる人も多いだろう。イタリアのそんな事情を聞いて、日本の体育館への避難は少々見劣りする。「1人あたりの面積が狭い」「大人数のため常に騒音や混雑感があり落ち着かない」「1人用のベッドや布団がない、または不足している」「エアコンや入浴施設がない」…挙げたらキリがないが、それは避難者に直接の被害となって現れる。劣悪な避難所生活は、避難者の生命と健康を削っていく。体育館の床の上だけでなく、学校の廊下で寝起きをするような例もある。1人あたりの面積が1畳ほどしかない避難所もあり、「難民キャンプより劣悪」という声も聞かれる。

 「地震大国日本」の備えとは、このようなものでいいのだろうか。国際赤十字などが策定した最低基準では、「世帯ごとに十分に覆いのある生活空間を確保する」「1人あたり最低3.5m2以上の広さで、覆いのある空間を確保する」「最適な快適温度、換気と保護を提供する」「トイレは20人に1つ以上。男女別で使えること」などが定められている。

 この事態からは、かつて日本の住宅政策が公的機関によって住む家を提供するのではなく、「自分の家は自分でつくれ」という“持ち家政策”に舵を切った名残を思い出させる。すべての活力の源である住空間や居住環境においては、国や政府が主導で何かを提供するという空間全体に対する思考が、どこか抜け落ちているように感じる。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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