2024年04月26日( 金 )

世界で競争が激化する五感の活性化研究と日本的な『香り』のニュービジネス(後)

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国際政治経済学者 浜田 和幸 氏

 一方、我が国でも経済産業省が中心となり、感性や五感に注目した生活空間やライフスタイルを進化させようとの動きがスタートしている。具体的には、「人間生活技術戦略」を立ち上げ、2030年を目標に日本の技術を生かした新たな感性ビジネスを育成する方針を明らかにし、官民一体化戦略を推し進めようという考えである。

 アメリカでも研究が進んでいる。五感のなかで最も研究開発が遅れている分野が嗅覚だろう。我々の生活を便利で豊かなものにしているITや通信の世界を見ても、視覚と聴覚が圧倒的に主流派だ。視聴覚をアップする商品やサービスは巷に溢れているが、嗅覚を高めるような製品は出回っていない。しかし、嗅覚によって得られる香り成分は、人間の記憶、感情、言語といった学習能力を飛躍的に向上させる可能性を秘めている。

 それにもかかわらず、これまで香りのもたらす効能について十分な研究が行われてきたとは言い難い。アリストテレスの時代からダーウィンに至るまで、「人間の嗅覚はあてにならない」というのが一般的であった。本来人間がかぎ分けることのできる香りの種類は、傷んだ肉から恋人の香水まで1万種類にもおよぶという。ところが、実際には我々はその数%も識別できていないのではないだろうか。

 嗅覚は我々の食生活を豊かにするだけではなく、食物が安全かどうかを判断するうえで、人間の生命維持に不可欠の役割を担っている。我々は味覚と嗅覚の関係についても、あまりにも無関心であった。視覚と聴覚の違いは歴然としているが、味覚と臭覚の相関性には注目してこなかった。老化とともに、「食事の味が分からなくなった」という人の大半は臭覚が失われたことが原因なのである。

 2004年、ようやくリンダ・バック博士とリチャード・アクセル博士が嗅覚を司る遺伝子構造の研究でノーベル生理・医学賞を受賞した。匂いのかぎ分けと記憶の仕組みを解明したのである。我々の肉体を構成している遺伝子のなかで、嗅覚を司るものは3%を占めているといわれるほど。それだけ重要な要素でありながら、我々はあまりにも無頓着であった。

 これまで「最も謎に包まれた人間の感覚」であった嗅覚。ノーベル賞を受賞した2人の博士は鼻のなかにある、匂いを識別する、「受容体」と呼ばれる、たんぱく質の実態を明らかにした。我々の鼻のなかには嗅覚神経細胞が500万個ほどもある。両博士はこれらの細胞のそれぞれに、たった1種類の受容体だけが対応することも確認。これは極めて重要な発見である。

 なぜなら、そうした研究によって人は1兆種類もの香りや匂いを嗅ぎ分ける能力が本来備わっていることが判明したからだ。しかも、同時に、これらの神経細胞が脳にどのように接続しているのかも解明したため、世界に衝撃が走った。

 ということは人間の行動を決定する五感と脳神経の相関性にも研究のメスが入れられるということだ。さらには、フェロモンと人間の寿命との関係や匂いや香りが人間の行動に、どのような影響を与えるかも明らかになる可能性が出てきたといえよう。五感によって作動する脳のシナプスを探究することでガンを始め、さまざまな病気の克服方法も見出せるかもしれない。言い換えれば、香りには無限の可能性が隠されているのである。

 残念ながら、現時点では、ネズミですら1,000種類の匂いを嗅ぎ分けているのに対し、人間が普通に識別できる香りは400種類程度に過ぎない。人の場合、嗅覚が衰えるとアルツハイマー病を引き起こすことが立証されるようになった。しかも、嗅覚が失われると5年以内に死亡する確率が高まることも明らかになっている。

 幸いにして日本には「香道」に代表される、独特の香り文化や伝統が息づいている。秘められた能力を開花させるためにも、脳の活性化を一層促進するためにも、今こそ香りのパワーにスポットを当て、新たな生命科学を興し、その成果に立脚した“五感産業”の開発に取り組む時であろう。お線香などもその対象になるに違いない。

 すでにその萌芽が見られるが、日本も世界と協力し、こうした分野で先駆的な役割を担うことを大いに期待したい。実際、19世紀から世界各国で、香水は病気の治療や精神障がいの改善のために医療の専門家の間で活用されるようになった。カカオはインカ帝国時代の万能薬として重宝されたものだが、コーヒーの芳醇な香りにはそうした健康増進効果が秘められているようだ。

 さらにいえば、ランの花の一種であるバニラにしても、バニラアイスなどのかたちで市場に出回っているもののうち、天然由来のものは1%に満たない。そのほかはすべて人工的に生み出された香りと味の組み合わせなのである。これほどまでに、我々の身の回りは人工的な味や香りに満ちているわけだ。そうした現実を踏まえたうえで、人間が失いつつある五感を復活させる自然を生かした日本的なビジネスが望まれる。

(了)

<プロフィール>
hamada_prf浜田 和幸(はまだ・かずゆき)
国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鉄、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選を果たした。11年6月、自民党を離党し無所属で総務大臣政務官に就任し、震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。
今年7月にネット出版した原田翔太氏との共著『未来予見〜「未来が見える人」は何をやっているのか?21世紀版知的未来学入門~』(ユナイテッドリンクスジャパン)がアマゾンでベストセラーに。

 
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