2024年04月26日( 金 )

歴史と文化の街と開発区域の拡充 新市長が描く新都市構想

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太宰府市長 楠田 大蔵 氏

 2018年1月に行われた太宰府市長選において新人として出馬し、見事初当選をはたした楠田大蔵氏。市長に就任後は、歴史と文化の街として知られる太宰府市を、より魅力ある都市へとすべく変革を進めている。今後、“太宰府”という観光ブランドと、伸び代の大きい都市開発をどのようにしていくのか。楠田市長が描くまちづくりについて、話を聞いた。

市民との語り合いを市政に反映

 ――市長に就任されてから間もなく1年となりますが、この間を振り返って、いかがですか。

太宰府市庁舎

 楠田 私が就任後にまず行ったのは、市政の立て直しのための呼びかけでした。実は市長選前の太宰府市は、前市長が不信任決議を受けたうえ、議会も解散し、さらには市三役が不在となるなど、市政の機能としてはほぼ停止してしまうという状況に陥っていました。そのため、市長に就任して初登庁後に、すぐに行ったのは、市職員に対しての「ともに力を合わせて太宰府市を立て直しましょう」という呼びかけでした。そうして市職員が頑張ってくれたことと、何よりも市民の皆さまの温かいご理解やご協力のおかげで、何とか立て直すことができました。現在では、市政としてあるべき姿になりつつあるのではないかと思います。

 私は就任後、「42歳という若さ、しがらみのない発想力、国政経験などを生かして、市政に新しい風を吹き込み、市政改革の実現に邁進する」という誓いを立てました。そして、その想いを実現するためも、まずは人事の立て直しに着手し、県行政出身の副市長、学校現場出身の女性教育長を採用・任命しました。これからの市政に大いに貢献していただく予定です。また、本市としては初めてとなる職員採用説明会を行いました。これから、行政においても人材育成は大変重要になりますので、人材の教育・育成にはとくに力を入れていく方針です。

市長と語る会

 また議会では、選挙公約であった「3つの工程」と「7つのプラン」に加えて、従来からある「第5次総合計画後期基本計画」を組み合わせた施政方針を発表しました。そのなかで、重点政策である「市民参画の行政・まちづくり」の根底にあるものとして、「市長と語る会」や、学問の神さまにふさわしい教育・子育てとしての「子ども・学生未来会議」、超成長戦略としての「ふるさと納税拡充」などは早速実行にかかりました。

 とくに「市長と語る会」については、「市民の声が届く、市民に声が伝わる市政」を実現することが、本市の“市民力”をさらに引き出すとともに、活力ある地域の創生へとつながると考えており、「楠田大蔵市長と語る会」と名付けて、市政やまちづくりについてのご意見を頂戴するとして開催しています。こちらについては、市民の皆さまと直接対話できる場として、今後も定期的に、そして市内の各地区で順次開催していき、そこでいただいた市民からのご意見やご要望を市政に反映していければ、と思っています。

歴史と文化の街を守りつつ、広域連携の都市づくりへ

 ――太宰府市のまちづくりについて、基本的な考えをお聞かせください。

 楠田 まず、まちづくりの前提として、市としての財源の確保と、収入増の取り組みを考えていく必要があります。ここ太宰府市は、「太宰府天満宮」や「観世音寺」「大宰府政庁跡」などを始めとした観光名所や史跡などの観光スポットが随所にあり、全国的に名が知られています。太宰府天満宮や九州国立博物館には、国内だけでなく海外からもたくさんの観光客が訪れております。この観光資源を生かした地域振興への取り組みを、太宰府市のみならず近隣の自治体とともに行っていき、広いエリアでのまちづくりを図っていきたいと考えています。

観光客でにぎあう天満宮
九州国立博物館

 ――その一方で、観光都市ならではの課題もあるかと思いますが、こちらについてはいかがですか。

 楠田 やはり課題としては、太宰府天満宮周辺における渋滞問題が挙げられると思います。先に述べたように、太宰府天満宮には年間を通じて多くの参詣客がいらっしゃいますが、なかでも年末年始や受験シーズンなどには集中する傾向にあり、この時期には大渋滞が発生することもたびたびあります。加えて、近年ではインバウンド客の増加にともなって大型バスも増えており、慢性的な渋滞問題の一因となっています。

 このための対策として、ライブカメラ画像などの活用によって道路や駐車場のリアルタイムの状況を、情報発信する取り組みを行っています。並行して、「パークアンドライド駐車場」などの検討も行うことで、公共交通機関の利用への転換を促し、渋滞の緩和につなげていくことも大事です。

 一方で、西鉄・太宰府駅では、27年ぶりの大規模改装が行われており、駅構内が太宰府天満宮をイメージした朱色に塗り替えられたりしています。この駅の改装と、太宰府観光列車「旅人 -たびと-」との相乗効果によって、列車で天満宮を訪れる人が増えることも期待されます。官と民との連携により、渋滞緩和と沿線観光の振興に取り組んでいくことは、問題の解決のためにプラスに働いていくと思います。

 今後、太宰府市の計画では、観光基本計画策定作業や、環境重視の逆転の発想による渋滞解消を目指す総合交通計画協議会、地域公共交通活性化協議会での議論を行っていきます。さらには、知識と経験が豊富な外部有識者を迎えることで、常態化する交通混雑の解決に向けてよりいっそう知恵を絞っていく予定です。

西鉄・太宰府駅
朱色に塗られた駅構内

歴史と文化、都市開発の両輪で魅力ある街を創出する

 ――市内の中心部のまちづくりの取り組みについては、いかがですか。

 楠田 太宰府市は、1955年3月に太宰府町と水城村が合併して誕生した「太宰府町」が前身となります。そして82年4月に市制が施行され、太宰府市となりました。市内には全体面積の16%におよぶ史跡地があります。そのため、大規模な開発を行っていくことは難しく、新規に都市開発を行っていくエリアとしては困難がともないます。ですが、何とかして歴史と文化の街の活性化を図っていきたいとは思っていますが、課題が山積しているのが現状です。

 このような状況のなか、西鉄五条駅近くにあったスーパーマーケット「マミーズ」が18年11月末に閉店しました。建物は公共の施設でしたが、1階部分を居抜きで入っていただいていました。買い物だけでなく、市民の集いの場でもあったので、市としても、とても残念な思いです。今後の施設の活用方法は、再度民間業者に賃貸することも選択肢としてはありますが、今後は市民のコミュニケーションを育む場所としての活用も考えています。たとえば、学生は福祉を通じて経験と収入を得る場として、高齢者は介護などを受けることができる場として、そうした活用ができるのではないかと思っています。

 また、市の中心部に住まれているのは、高齢者のほうが多くなってきていますので、高齢者対策も今後は重点項目となっていくでしょう。公約に掲げているように、民間事業者とも協力しながら、自立支援システムの構築を進めていきます。暮らしやすいまちをつくっていくために、もっといろいろと知恵とアイデアを出していければと思っています。

 ――「大太宰府構想」を掲げられていますが、これはどのようなものでしょうか。

 楠田 太宰府市の総面積は約2,961haですが、そのうち市街化区域は約1,182haで市全体の39.9%です。一方、市街化調整区域は約1,071haで市全体の36.2%と、市街化区域とほぼ同じくらいの広さではありますが、まとまっておらず、市内各地に分散してしまっています。ほかに高度地区が約499haありますが、ここでは建築物の高さ制限が20mとされており、高層建築物はありません。景観維持などの観点が、本市の前提としてあります。

 そうしたなか、市内西側の地域は県道17号線を有しており、高速道路の筑紫野インターチェンジにも近く、交通の利便性は高いエリアです。そのため、大型商業施設の進出などの都市開発が進んでいますが、市街化調整区域も多く含まれており、これからさらなる都市開発を進めるためにも、建築要件の緩和が必要とされているのはたしかです。

 そのためにも、周辺自治体との広域連携は欠かせません。そこで「新広域連携行政」「危機管理ネットワーク構築」「交通大動脈計画」を柱として、「大太宰府構想」を計画しています。広域連携を図りながら協力体制を築き、ネットワークや観光産業戦略、生活支援を軸に、太宰府市を盛り立てていきます。

 太宰府市は歴史と文化のまちとして、これからも守っていくべきものはたくさんあります。その一方で、財源を生み出す新たな力も育てていかなければなりません。その両方をうまく合わせた「ニューだざいふ構想」で、行政再建を行っていき、太宰府市を名実ともに「日本を代表する都(まち)」にしていきたいと思います。

【道山 憲一】

<プロフィール>
楠田 大蔵(くすだ・だいぞう)

1975年4月、福岡県筑紫野市出身。東京大学法学部を卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)に入行するも退職し、羽田孜・元総理の秘書として政治の道に入る。2003年に第43回衆議院議員選挙に初出馬し、28歳で初当選。衆議院議員を3期務めた。18年1月に行われた太宰府市長選で当選し、市長に就任した。

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