【唐津街道中膝栗毛/後編】景観保存と開発の狭間で揺れ動く箱崎~小倉の旧宿場町(前)
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畦町(福津市)
喧騒から離れた物静かな宿場町
畦町宿は、県道503号・町川原赤間線からすぐ南に行った通り沿い一帯の、福津市畦町にあったとされる宿場町である。1642(寛永19)年に当時の福岡藩主・黒田忠之が、青柳宿~赤間宿の距離が遠すぎるとしてその中間地点に、近くの本木村および鳥巣村から数十戸の村人を移して宿場をつくったのが始まり。その際、鳥巣村にあった「菖蒲山 護念寺」も移設され、以降は畦町宿の中心をなしたとされている。
「宗像郡明細帳」によると、寛政年間(1789~1801)ごろの記録では、畦町宿には110軒の建物があり、茶屋や大工、蓑屋、桶屋、酒造屋などの商家が軒を連ね、年間5,000人超の宿場人足で賑わったという。畦町宿の南北に通じる街並みの入り口の両脇には構口があり、御制札所や役人詰所があったほか、福岡藩主の陣屋や近隣の庄屋の寄合所などの役割をもつ「郡屋」もあったとされている。なお、郡屋の建物は老朽化が進み、倒壊の危険性があるとして2017年8月に福津市によって解体され、現在は空き地となっている。
江戸期には宿場町として栄えた畦町宿だったが、明治期になると宿駅の廃止や鉄道などの交通路線の変更とともに宿場町としての機能を失い、やがては時代の流れに取り残されることになる。
現在の畦町宿一帯は、かつての街道筋に沿って古い建物がいくつか並んでいるほか、護念寺や観地山地蔵尊、天満宮などの古刹もあり、物静かな雰囲気ながら往時の佇まいが感じられる。いくつかの建物は、「あぜのまち絵本美術館」やアトリエ、カフェなどとして利用されるなど、新たな活用法が模索されているようだが、訪問時にはコロナ禍もあって残念ながら賑わいは感じられなかった。鉄道路線や幹線道路からは遠く離れているため、幸か不幸か開発の波に呑まれるような事態にはなっていないが、その反面、あまり人の往来のない、少し寂しい雰囲気も漂っていた。
【坂田 憲治】
法人名
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