2024年05月14日( 火 )

建築家とは何か(前)「箱」から「場」へ構造転換(3)

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 規律と秩序を保ち、社会との親和性を図る指南役として“建築家”は存在する。しかし今、彼らの力が社会的に弱まってきているようだ。設計者は何を考えているのか──都市を積み上げる実行者たちの働き方から、業界に存在する特殊なメカニズムの秘密に迫ってみたい。

弱体化してきている建築家像

 60年代の終わりから70年代にかけて、建築家が取り組むべき社会の要請として“都市に住む”という主題が浮上してきた。その主役を担ったのが「野武士」と呼ばれた建築家たち。この命題によって、建築家は社会との関係を再び考え始め、自身への作風へ取り込んでいく。常に外=都市・街・地域に対して“どのように開いていくか”ということが大きなテーマとなっていく。

 20世紀は「コンクリートの時代」だった。グローバル化の進展とコンクリートの相性が良かったからだ。コンクリートは砂、砂利、セメントなど極めてプリミティブな材料で構成され、材料の調合も簡単。だから世界中どこでも場所を選ばす施工できる。安藤忠雄はそれゆえにコンクリートを選択し、隈研吾はそれゆえにコンクリートをその選択から外した。

 世界にコンクリートと鉄が君臨する流れに対抗して、ローカルな物質を用いてローカルな職人と協働して、「見えない建築」をつくる。隈氏は90年代から「建築を消したい」「物質と向かい合う」という2つの手法を擁し、自然素材を使った自然共生型の建築作風へと思想を変えていった。「新・国立競技場(2019年竣工)」を代表とする近年の実績には木材を使用することが多いが、その作風はこのころから始まっている。

 さまざまな手法、作風をもった建築家たちが、いつの時代も「未来の居住形態はどのように設計できるだろうか」と思考をめぐらせては社会実験を続けているが、今、建築家を取り巻く環境が大きく揺らいでいる。

 従来であれば、チャンスを得て作品をつくり、それが雑誌に掲載されるなどして注目を浴び、さらに仕事のチャンスを得る。そうしてどんどん仕事の量を増やしながら住宅から商業施設、オフィスビル、やがては美術館や庁舎といった公共事業の設計が舞い込むようになる…というのが建築家のかつてのサクセスストーリーだったが、そうした流れは現在では少なくなってきているようだ。

国立競技場(2019竣工) 隈研吾建築都市設計事務所
国立競技場 © Nakai_Chan
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)

建築家は再び社会とつながれるか

 建築家の“つくり方”が、社会の“つくられ方”と合わなくなってきたのだろうか。東日本大震災のときも、建築家には公的な復興支援の要請はなかった。「ずっと以前から、我々建築家ははたして社会の為に役に立っているのだろうか。という疑問をもっていた」と坂茂(1957-)は語る。坂にとって阪神・淡路大震災は、「個」としての建築家の復権、そして「社会的な役に立つ」建築家の職能の模索の場でもあった。

 建築界に関しては震災の後、建築家が行政から頼りにされていないことが判明したというべきだろうか。ゼネコンや大手コンサルは多くの人員を被災地に派遣し、復興事業に大きく食い込んだが、伊東豊雄や隈研吾など、世界的に活躍する建築家にすら声はかからなかった。

 建築家は、美術館や図書館などの文化施設をデザインするという意味での評価は認められているが、災害時には関係をもてないことが震災直後にはっきりしたのだ(/建築史家:五十嵐太郎(1967-))。

 多くの建築家は自分が呼ばれないことに失望したが、その責任は建築家の側にもあった。復興に参加したいのなら、普段から個人の表現行為にばかり固執していないで、もっと謙虚に社会参加するための活動をしなければならない。「建築家は社会の為にと考えながら建築をつくっているのに、結局は“作品”という個人的表現に行きついてしまう」。建築家の自己表現と社会貢献とは表裏一体であり、両者の間に生じる歪を正さなくてならない。かつて「小売の神様」と呼ばれた鈴木敏文氏(セブン&アイ・ホールディングス会長)は、「私はプロの経営者でありながら、同時にプロの消費者でなければならない」と語った。“建築家”という職能もその鎧を脱げば一個人。一市民としてその場所を利用し、その空間を一生活者として理解する必要もあるだろう。

建築家は再び社会とつながれるか
東京夜景 © OsamuYoshida
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)

人格が“線”の配置を決める

 「図面を引く」という行為は、実は誰にでもできる。なぜなら縮尺を押さえて、紙と鉛筆があれば線を引けるからだ。その線の組み合わせ方に、価値をもたせられるか、描かれた空間がユーザーにとって意味のあるものか、そして社会的にインパクトをもっているかが、決定的な存在の意義となる。

 一流の建築家は一本の線をどこに置くか、そこに魂を投じていく。その図面によって出現する現実の空間に関係者の利害が満たされ、価値を生み出すことができるか、設計者として覚悟をもって臨み、そして社会の歪みを正そうとする。

 設計する者は、その線の向こう側にリアルな生活や行動を誘引する仕掛けをみる。右へ向かうのか左へ降りるのか、その場所の使い方や居心地、雰囲気までも創造していく過程には、必ず意図する者の思惑が顔をのぞかせる。

 建築基準法によって決められた寸法を守り、そのなかで創造者はエンドユーザーの手となり足となり最適な世界を実装しようとメッセージを折り込み、送り続ける。その行為は少なからず設計する者の価値観や規範、倫理観に左右されることもあるだろう。そう、人格が問われる表現体が空間設計なのだ。その者の原体験や幼少期の原風景などが、一定の水準でその空間の既定路線を決める。

 絵画などの審美眼をもっていない人間が、美術館を設計できるだろうか。毎日仕事に追われて疲弊している人間が、ゆったりと優雅なサロン空間を設計できるだろうか。家族と一緒に食卓を囲む経験が乏しい人間に、温かなリビングの団欒が設計できるだろうか。設計図として描き出された図面は、その線を引いた者の日常や経験、アイデンティティーや生き方に至るまでの哲学を如実に映し出す鏡である(ちなみに“建築設計者”の仕事に対する姿勢をあえて“建築家”と比較すると、「与えられた与件に丁寧に応えていく」といったところか)。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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