2024年04月27日( 土 )

【ワタミ創業者、渡邉氏が経営復帰】「ブラック企業」の汚名を着せられ~ガムシャラに突き進んできた人生哲学(中)

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つぼ八のフランチャイズとしてスタート

 転機になったのは、居酒屋「つぼ八」の名物社長、石井誠二氏との出会いである。石井氏にトンカツを食べに連れていかれ、「うちで修行のつもりでフランチャイズとしてやってみないか」と誘われた。つぼ八高円寺北口店を買い取る5,000万円は、石井氏が貸すという。渡邉氏の決断は早い。即決で引き受けた。

 84年4月。24歳で(有)渡美商事を設立して代表取締役に就いた。居酒屋チェーンつぼ八の高円寺北口店を買い取り、フランチャイズオーナーとしてのスタートである。高円寺北口店の好調で、勢いにまかせて、つぼ八の直営店を次々と買収していった。しかし、うまくいかず、今度は、次々と店が潰れていく。

 銀行に2,000万円の融資を申し込んだが、「あなたの事業にカネを貸せないのではない。人間性に貸せないんだ」と断られた。あまりの悔しさで、高円寺の電柱で悔し泣きした。

 店が潰れると覚悟した日、取引先の酒屋が訪ねてきた。風呂敷に包んだ2,000万円を、「使ってください。あなたはまだいける。ここで終わる人間じゃない」と差し出した。

 半年で店を立て直した。渡邉氏は「つぼ八の石井さんと酒屋さんがいなければ、和民はなかった」と言い切る。

 86年5月、ワタミを設立。92年4月、「つぼ八」とのフランチャイズ契約を解除し、自社ブランド「和民」を展開していく。

 居酒屋業界は浮沈が激しい。「養老の滝」「村さ来」「つぼ八」などが居酒屋ブームをつくった。1990年代後半から2000年代前半は、「白木屋」「笑笑」のモンテローザ、「和民」のワタミ、「甘太郎」のコロワイドが新御三家と呼ばれた。モンテローザの創業者、大神輝博氏は「つぼ八」五反田東口駅前支店長から独立している。

ワタミの女性従業員が過労自殺

 ワタミがブラック企業の代名詞になったのは、女性店員が過労自殺したことによる。2008年6月、和民京急久里浜店(横須賀市)で働く女性社員(当時26歳)が入社してわずか2カ月で、自宅マンションから飛び降り自殺した。

 「体が痛いです。体が辛いです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けてください。誰か助けてください」。亡くなる1カ月前の日記には、心身の限界に達した彼女の悲痛な叫びが記されていた。

 遺族の求めにより審査していた神奈川労災補償保険審査官は2012年2月14日、時間外労働で適応障害を発症したのが原因と結論づけ、業務と自殺の因果関係を認め、労災認定を下ろした。

 「朝5時までの勤務が1週間続く長時間労働により、1カ月あたりの残業が140時間に達し、4月から6月の2カ月間の残業は227時間におよんでいた。休日には午前7時からの早朝研修会やリポート執筆が課され、休日や休憩時間が不十分で極度の睡眠不足の状態に陥り、不慣れな調理業務の担当となり、強い心理的負担を受けた」ことなどが主因として「精神障害を発病」し、女性が自殺に追い込まれたと認定した。

 審査官が過労自殺と正式に認定したにもかかわらず、会長(当時)の渡邉氏は、残業の有無などに触れず、謝罪の言葉もなく、「労務管理ができていなかったとの認識はない」と開き直りとも受け取れる発言をした。そのことから、ネット上では、「月140時間の残業で労務管理ができたって?」と批判が殺到する騒ぎになった。

 そのわずか5時間半後に、渡邉氏は学校法人郁文館夢学園理事長として姉妹校建設のためにバングラデシュを訪れた。22日のツイッターで、「バングラデシュで学校をつくります。そのことは、亡くなった彼女も期待してくれると信じています」と書き込んだ。

 これに対して、「過労で自殺したのに、期待する気になるわけがないだろう」と反発が起きた。渡邉氏の思慮を欠いた発言で、ネット上は炎上してしまったのである。

(つづく)
【森村 和男】

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