2024年03月29日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】関電報告書の読み方~関電疑獄を「町の法律好々爺」凡学一生がわかりやすく解説(7)

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 内部報告書の作成時点で、当然のことながら、Mからの提供金品は「常識をこえた高額」であることは「発覚」の内容そのものであったから、あえて単なる「金品」と表記し、「常識をこえた金品」という客観的事実を隠蔽矮小した。これは同時に「常識をこえた金品の受領」はそれだけで収賄の違法行為が認定されることを隠蔽回避した。つまり、ここで、違法という用語を故意に不適切という用語にすり替えたのである。極めて悪質な歪曲表現である。

 さらに、「不適切な情報提供が賄賂の授受に関連して行われれば会社に損害を与えたことになり看過できない」と記述した。ここで主張された論理、隠された論理は、たとえ賄賂の授受があっても、実際に会社に損害を与える過剰利益を含んだ不正発注をしなければ、違法ではないという独善の論理がある。法律的に解説すれば、法匪の主張は特別背任罪の構成要件には該当しない、というものである。

 前述したように、会社法には贈収賄を罰する規定もあるし、その構成要件は罰条の目的の差異により、異なるから、法匪の上記の説明は法律専門家としては故意の歪曲説明である。都合の良い論点に誘導する卑劣な論法である。前提論では賄賂罪の視点で語り、結論では特別背任罪の視点で論じている。そもそも賄賂罪では賄賂の収受が論点であり、不正行為は当然の随伴結果である。

 一方、特別背任罪は賄賂の収受とは無関係に会社に損害を発生させたか否かが論点である。Mが長年提供してきた賄賂の原資が関電の発注した工事の過剰利益によるものではない、との立証がない限り、賄賂の原資、つまり過剰利益の提供が会社の損害と認定される。これは論理的判断である。

 そもそも過剰利益を含んだ発注かどうかを客観的に確定認定する方法は存在しない。

 過剰利益発生の抑止方法の1つである競争入札においても、それぞれの入札額に過剰利益を含んだものかどうかを判定して落札額が決定される事情はまったくない。つまり、落札額以上の入札額には過剰利益が認定されるという関係はない。まして本件で問題となっている発注額はすべて特命指定発注であり、一層、過剰利益の有無は客観的に判定できない。

 しかし、結論的に同書は過剰利益の存在を否定した。当然その理由根拠は不明である。このような骨格を持つ同書が、いかなる「隠れた」目的をもったものであるかは多言を要しないであろう。

(つづく)

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