2024年04月25日( 木 )

【凡学一生のやさしい法律学】関電報告書の読み方~関電疑獄を「町の法律好々爺」凡学一生がわかりやすく解説(8)

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 関電疑獄事件は端的にいえば贈収賄事件である(注1)。贈収賄事件における基本的な法律要件事実は贈収賄事実であるから、賄賂の授受事実の認定が基本である。賄賂といえる金品ないし経済的利益が授受された事、この事実が基本的な要件事実で、次に補足的に認定されるのが業務(発注)と賄賂との因果関係である。賄賂の対価として、不正の業務行為(発注)があることである。わかりやすい教室設例で説明すれば、社会的相当の範囲にある金品の授受であっても「それに関連して」不正の発注があれば、賄賂収受の違法行為は成立する。

 本件は工事発注をめぐる贈収賄であり、しかも長年にわたる多数回の贈収賄行為と多数回の発注行為であるから、一回的な贈収賄事件と異なり、因果関係にある発注行為の不法性の特定・確定を問題にする必要はない。しかも、発注額が不正か不正でないかは本来、客観的に決定できない。それは工事発注における本質的な属性である。つまり、工事見積額には多数の不確定要素を含む費目が存在し、業者によって見積額自体に大きな差異が存在する。そのために競争入札制度がある。

 本件では競争入札が行われておらず、それだけで、発注額の正当性の議論は不可能である。念のため、見積額自体が不確定要素を含む顕著な具体例は、企業の利益分である。それぞれの費目のなかに、企業の希望する利益率による利益が含まれており、それ自体はもともと不明である。また、費目が「下請」を前提としていてもそれは明示されないから、下請企業が受託する金額により変動する価額である。

 このような不確定要素を多く含む発注額の正当性を社内調査委員会が究明することは不可能である。同書はこの判定不可能領域について多くのページを割いて、具体的根拠証拠を一切示すことなく(例:全面黒塗り頁の明細書)、発注額には不正はなかったと断言した。これだけでも同書の論理性・公正性ひいて信頼性が否定されることに留意すべきである。

 (注1)いうまでもなく、関電は株式会社であり、職員は公務員ではない。従って、公務員について成立する単純収賄罪は成立しない。そこで法匪らは、賄賂の収受があっても因果関係のある不正行為が存在しなければ(正確には証拠によって認定されなければ)、会社に損害を与えた事実がなければ(同じく立証されなければ)、会社法上の賄賂罪や特別背任罪に該当しない、との法的見解に基づき、賄賂の収受自体は国税当局の認定により争うことが不可能なため、会社に損害を与えなかったこと、不正の情報提供が無かったことに全力を傾注し、同書の大部分が、不正発注の否定に費やされた。

 この論理であれば、社会的相当性を逸脱した金品の受領であっても、会社に損害がなかったことを立証すれば、不正の請託や、不正発注の立証は自白でもない限り不可能のため、無罪放免となる。つまり、会社法に関する限り賄賂収受の犯罪行為は、その立証の困難性により事実上存在しない結果となる。

 一般の商事会社の商行為において発注者が受注者から事前または事後にペイバックをうけても正式に財務処理して納税をしておれば商道徳上は格別、法的にはまったく問題はない。

 それは単なる利益の調整方法にすぎないからである。もっとも、取締役の忠実義務違反であるから、民事的な会社法違反の問題は残る。

 しかし、関電は法形式は株式会社という私法人の形態であるが、その実態は国から許認可を受け、独占的に電力事業を行うもので、とくにその収益は選択肢のない市民に対する独占価格のおしつけ(つまり税の徴収と同じ効果)による収益であるから、事業は公共事業であり、法人も公法人と同等の国の管理監督を受ける。純然たる私法人の株式会社とはまったく異なる。関電の職員が純然たる私法人の株式会社の職員とする法匪らの前提は明らかに失当である。

 法匪らは自らの論理が背理であることを知悉していたからこそ、賄賂収受の発覚の後においても、その賄賂の組織的反却を実行した。純然たる私法人たる株式会社の職員であれば、賄賂の返却の必要はまったくない。納税の問題や会計処理上の問題が残るだけである。

(つづく)

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