2024年04月27日( 土 )

【凡学一生のやさしい法律学】関電報告書の読み方~関電疑獄を「町の法律好々爺」凡学一生がわかりやすく解説(9)

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 内部調査報告書(以下、同書)の最も条理と論理に反する部分は、賄賂の授受事実に関する事実認定である。

 工事・業務発注に関する贈収賄事件であるから、贈賄者は工事・業務施工者(真の贈賄者)である。Mは助役退職までは原発立地市町村の公務員であり、助役の地位にある時点でのMによる贈賄は、真の贈賄者が誰であるかの特定が不可欠である。Mは公務員であるから兼職禁止であり、何らかの受注企業の関係者となることおよび、報酬を受け取ることができない。

 従って、Mは必ず、真の贈賄者が誰であるかを黙示ないし明示していなければ道理に合わない。つまり、多数の贈賄事実について、必ず、真の贈賄者が明示ないし黙示されており、調査委員会は真実を究明するつもりであれば、調査の順序として各贈賄事実について、真の贈賄者の特定確定は不可欠である。調査がこのように合理的に適正に行われておれば、本件贈賄がMの自己顕示欲による示威行為であるとの同書の結論はそもそも生まれない。

 次にMが役所を退職してから民間人となった場合はMが所属した受注企業が真の贈賄者であり、それは客観的に明白であるから、一層、M個人の自己顕示欲の発露としての示威行為という論理は成立しない。

 このM個人の自己顕示欲の現れとしての示威行為という論理は、賄賂受領がやむを得なかったという弁解のために用意された論理である。しかし、同書においては賄賂の受領に関して極めて明白に具体的詳細事実が隠蔽された。実際に賄賂が提供され、それが収賄役員重職者の下に到達する具体的経緯経路が一切不明である。その隠蔽手法が「対応者」の出現、登場である。

 Mと「対応者」との折衝におけるMの言動が真実なら、賄賂の収受は止むなきものとの判断もあり得るが、そもそもMが「対応者」に賄賂を交付した「場面」は、少なくとも同書では皆無である。同書では対応者=収賄者であるかどうかはまったく不明であり、例示された。

 Mの悪口雑言の内容からは、明らかに、対応者は窓口対応の平社員である。そうであれば、

 賄賂の収受にはまったく関係のない場面におけるMの悪口雑言が、賄賂収受のやむなき理由とされ、すり替えごまかされている。同書の論理不整合・悪質性は言語に絶する。

同書の事実認定は主要証拠がすべて伝聞証拠である

 事実認定は証拠に基づく。同書で認定された事実、とくにMの人格的悪性はすべて伝聞証拠であり、反対尋問や補強証拠のない限り、裁判や公的裁定手続では絶対に証拠能力が認められないものである。無論これは弁護士であれば知悉している。同書の文責者はれっきとした3名の弁護士であり、その法的有効性がないことを知り、あえて公表(実際の公表は答申を受けた取締役会)したもので、公然と国民を馬鹿にしたものである。

(つづく)

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