2024年04月29日( 月 )

コロナの先の世界(14)新型コロナ後の北東アジアの姿(2)

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 NetIB‐Newsでは、国際経済連携推進センター(JCER)の記事を掲載している。今回は2020年6月11日付の記事を紹介。


(公社)日本経済研究センター 首席研究員 伊集院 敦

 新型コロナ危機が収束した後、日本を取り巻く北東アジア地域はどう変わるのか。今回の危機で米中の分断が加速し、その影響が北東アジア地域を直撃することは避けられないだろう。米中の分断圧力により北東アジアという地域はズタズタに引き裂かれるのか、それとも危機をチャンスに変えて、まとまりのある地域として発展していくのか。この地域の将来の姿は、今後数年の取り組みによって、相当違ったものになるのではないか。

近隣外交における保健協力の潜在力と限界

 実をいえば、感染症対策を含む保健協力は従来、日中韓の3カ国協力のモデルケースと見られてきた分野だ。

 日中韓はアジア経済危機後の1999年、当時の小渕恵三・首相と朱鎔基・中国首相、金大中・韓国大統領がマニラで会談したのを機に、3カ国協力の枠組みをスタートさせた。最初はASEANの会議を利用しての会合だったが、2008年からは単独で3カ国首脳会議が開かれるようになり、11年には3カ国協力事務局がソウルに設立された。

 08年の3カ国首脳会議の共同声明で謳ったのが「未来志向」だ。日中韓3カ国には北朝鮮問題などの地政学的テーマや歴史認識で溝があり、協力の障害を乗り越えるために打ち出されたのが、3カ国が集まる場では未来の可能性を優先し、できるところから友好関係を増進していこうという考え方だった。

 こうした発想に基づいて3カ国は経済を中心に機能面での協力を拡大し、閣僚級会合は、外務、貿易、財務、環境、防災などいまや21におよぶ。なかでも保健相会合は07年から毎年のように開かれてきた「優等生」で、3カ国共通の脅威である新型インフルエンザなどの感染症対策でも協力を深めてきた。

 新型コロナのパンデミックという重大事に際して、その保健相会合がようやく開催にこぎつけたのが5月15日のテレビ会議だったのだ。会議は時期も時期なら内容も内容で、発表されたのは2枚紙の簡単な共同声明。3カ国が一致したのは (1)WHO(世界保健機関)の任務強化の必要性、(2)3カ国間における自由で開かれた透明性のある適時の情報やデータ、知識の共有の強化、(3)3カ国の技術的専門機関間のさらなる交流や協力の促進、新型コロナウイルス感染症の予防・抑制のための情報・経験の共有の重要性――の3点だった。

 この会議の成果を「十数年も閣僚会合を重ねながらこの程度か」と考えるのか、あるいは「これまでの交流の積み重ねがあったからこそできた」と評価するかは、人によって判断が異なるだろう。

 感染症への対応は、協力を通じてすべての関係国が利益を得やすい分野だと見られがちだが、必ずしもそうではない。感染症自体が各国の安全保障に重大な影響を与えかねない問題であるだけに、政治的に敏感で、国際政治の影響を受けやすい面がある。協力するにあたり、各国指導者は国内対策が他国に比べてうまくいっているかどうか気にしており、感染症への対応は各国指導者の評価やメンツにかかわるテーマでもある。

 いうまでもなく、感染症への対応は国際関係を規定する数々の要素の1つに過ぎない。時と場合によって国家間の緊張緩和を促す接着剤にもなるが、国際政治の厳しい現実の前には無力な場合もある。国と国の間に信頼関係がなく、政治指導者が人気取りや地政学的な目的に悪用すれば、かえって対立の火種になることもあるだろう。

 限界もあるなかで、国際保健協力の持つ潜在力を北東アジアの近隣外交にどう生かすか。医療技術や保健協力のシステムが「仏像」だとすれば、国際協力を通じて人の命を守る理想や地域協力への熱意は「魂」と例えることができるかもしれない。危機に際して、自ら進んで仏に魂を入れようとするのかどうか。入れるとしたらどのように魂を入れるのか。自国優先主義やポピュリズム(大衆迎合主義)がはびこる今の時代でも、政治指導者の心の持ち方が影響する部分も多分にあるのではないだろうか。

(つづく)


<プロフィール>
伊集院 敦(いじゅういん・あつし)

 1961年生まれ。85年早稲田大学卒、日本経済新聞社入社。ソウル支局長、中国総局長、アジア部編集委員などを経て、2018年から(公社)日本経済研究センター・首席研究員。中国・清華大学、延辺大学大学院に留学。
 著書多数。近著に『技術覇権 米中激突の深層』(編著、日本経済新聞出版社)。

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